今日は久しぶりに父の夢を見ました。

毎回、目が覚める度に

メモしなきゃって思うのに

つい二度寝してしまって

起きた頃には大半を忘れてしまってる。。


この夢も二部だったのに

一部を忘れちゃった。

でも、笑顔の父だったことは覚えてる。



二部の方は

薄暗い大きなプールで

娘が犬掻きで泳いでて

(そんなわけないんだけど笑い泣き

奥の方に父がいた。


娘は父に向かって犬掻きで泳いでる。

追いついたときに

父は娘を見て

「お!お前が(娘の名前)か!」

ってとっても嬉しそうに笑って、

娘を抱き上げてくれた。


いまこれを書いてても

ちょっと泣けてくるんですが

夢の中でいいから父に娘を会わせたいという願いが

叶った日でした。



夢の中の父はね

がんじゃなかったよ!



今年は3回忌を控えてるけど

ここのところ、仕事の悩みとかあって

それもあって

父がいないことが悲しい日々。。



そんな中の夢は

父からの励ましなのかな?

父が生きてたって相談なんかしないくせに

いないと相談したくなるんだよね

変だよね



今日のお昼は

がんになってから

父とよく食べたオニポテ。

オニオンリングが好きだったんだよね、父。

もちろんそうでない人もいますが。



子どもたちが通う保育園の先生が

ある日から頭にバンダナを巻いていて

肌の色が日焼けとは違う色になっていることに

気付きました。

父をずっと見ていたからこそ

これは抗がん剤されてるって

すぐに分かりました。


たぶん30代か、40代手前か

そのあたりのご年齢だと思いますが。

ステージが低く早期発見で寛解するといいなと

心から思いました。


周りにいないだけで

若いがん患者(AYA世代)はたくさんいます。

本当にみんな治って欲しい。

願わずにはいられません。


この間、定年退職した後の仕事だとか

生活のことを70手前の方と話す機会があり

一回しかない人生だから

楽しまなきゃな〜

とか、孫はもう成人しててお小遣いしか貰いにこん

とか、

なんだか聞いてて羨ましさしかなかったし

それは物凄く恵まれていて当たり前じゃないんだよ

って感じました。


わたしの父にも

2人の叔父にも

老後なんて時間はありませんでした。



ふだん

父のことはあんまり考えないようにしていて

たまに考えると

高いところから突き落とされたみたいに

気持ちが落ちます。

あんなこともあったなぁー

なんてしみじみ思える日はまだまだ先です、

今はまだ、若くして死んだ父が悲しくて

悔しいばかりです。


夢に出てきた。

でも、ほんと一瞬。


実家のリビングのドアを開けたら

ソファに寄りかかった父がいて

「お!帰ってたーん」と思いながら

リビングに入って行って、、

すぐに目が覚めた。


ああー

なんでこのタイミングで目が覚めたのー?

明け方4時ごろのこと。

ごちゃごちゃした夢を見てて

その帰りに実家に寄ったみたいで

話したいこと沢山ある〜というようなテンションだった。


実家のリビングには

割と最近まで大きなソファがあって

それはもう処分したんだけど

そのソファに父は寄りかかっていた。

いつものランニング着てた。

お腹ぽっこりだった。


でもね、

でもね、

腹水じゃなかった。

ただのメタボ。

病気になる前のパパだった!!



嬉しかった。


やってしまいました。


大失態してしまい

かなりつらい1ヶ月間を送らなくてはならなくなってしまいました。


実は

免許1年以上期限切れ気づかず

失効してしまいました。

ゴールド免許だったんですが。


おまけに夏から営業職の予定で

車を使うんです。

車は毎日乗ってました、

言い訳だけど、更新の期間は

父の看取りと出産の時期で

とってもとっても忘れていました。

これはもう言い訳でしかないですが。



働きながら、

子育てしながら

免許を1ヶ月で一から

取らないといけなくなってしまい

かなり、精神的に病み

毎日免許関連の嫌な夢を見るし

食欲もかなり、なくしました。


なんとかポジティブな方向に持っていきたいけど

もしかしたら仕事辞めなきゃいけないかな

これは、久しぶりにかなりの精神的ダメージ。


育休から復帰したばかりなのに。


消えてしまいたい、つらい。。




孤独です。


自分の絶対的な味方ばかり

いなくなっちゃって

ひとりぼっちだな

って、

定期的にくるんですが


また来ました。

つらい。父に会いたい。

死にたくなかったよね

怖かったよね

ビビリな人だったから

父の前では、

絶対に泣かないようにしてた。


そんなことばかり考えてる。

両親の結婚記念日でした。


子どもの頃から

割と両親の結婚記念日は

お祝いをあげてました。


誕生日、母の日、父の日

年間たくさんお祝いするけど

特に両親の結婚記念日は

覚えやすい日付なので

そのせいもあってお祝いしていました。


色違いのぬいぐるみをあげたり、

メッセージ送ったり、

そして母曰く

その日、父は

必ず花をくれたと話していた記憶があります。


だから

父がいなくなってしまってから

去年、そして今年

父の代理として

私から花束を送ってます。





配偶者が亡くなったって

結婚記念日は続いていきますよ。




奈緒さんと木梨憲武さんのドラマ

春になったら を観ている。


病床の父に手紙を書くシーン。

ひとつ思い出したことがあって、


父が腹水と胸水のコントロールのため

入院していたときに

落ち込む父に励ましの手紙を書こうと思ってたら


その日に主治医から余命宣告を受けた。

ここでいう余命宣告は

もう本当に末期の、本当の余命宣告だった。


早くて一月、長くて三ヶ月。

(ちなみにこの日から一月で旅立った)




いま手紙書いたら

感謝の手紙みたいなの書いたら

なんかお別れ前の手紙みたいになる

そんなふうにパパだって感じちゃう、。



って思って

結局書けなかった。

父以外の家族写真を

(姪っ子のお宮参りに

 父が撮影してくれたもの)

写真立てに入れて、

余白スペースに

「すぐ帰れるよ、待ってるよ」

って書いて、それを渡した。


後にそれは

お空でも寂しくないように棺に入れました。



もっと早く手紙書けば良かった。

メモ書きに近いメッセージとかは

しょっちゅうあげていたけど

手紙は なかなかなかったな

一回、渡した記憶もあるけど。。




手紙を書くと
いつもそれを受け取ったよ
って写真送ってくれてたな。。

2020年から2024年初春

約丸3年

本当に色々ありすぎました。


2019.7父の癌が発覚し

2020に私は1人目を出産

この頃、父は病状が悪化し腹膜播種に。

2022に一度職場復帰。

その夏に第二子懐妊と切迫早産のため産休入り。

この頃から父の体調が転げ落ちるように悪化。

2022年秋、祖父が他界し

その2ヶ月後に父は旅立ちました。

妊娠中2回も身内の通夜葬儀に参加することに。


1人目の育休中は

祖父の介護ケア、父の病院付き添いや

治療法を調べたり段取りしたりと

とにかく忙しかったです。


そんな日々も「死」という形で

終わってしまい

2人目の育休は子育てだけに追われていました。


そんな日々も もうすぐ終わります。

春。桜の咲く季節は

祖母と伯父が亡くなった季節で

毎年物悲しい気持ちになりますが

なんだかこの3年間は人生の色々がありすぎて

10年分くらい歳をとった気持ちです。



春からまた共働きで

子供たちもまだまだ手がかかるので

大変ですが

この3年でぐんと大きくなった(はず?)の

私を、お空から父が見守ってくれると信じて。





連日の訃報

鳥山明さんとTARAKOさん

思っていたよりショックだったみたいで

何ともいえぬ虚無感から抜け出せないでいる。


ふたりともまだ60代とお若いこと。

私の子供時代に流行ったり見ていたものが

無くなっていく虚無感。

クレヨンしんちゃんの作者臼井儀人さんが

亡くなったときも、

野原ひろしの声優、藤原啓治さんが亡くなったときも

(おふたりとも50代です)

さくらももこさんが亡くなったときも、、


どうして死というものは

順に訪れないのだろう。

一日でいいから、順に訪れて欲しい。

私も、一日でいい、

一日でいいから、妹よりも先に逝きたい。


自分の慣れ親しんだものが無くなっていき

父の家族はすべて故人になり

ものすごい虚無感から抜け出せません。



50-60代は若すぎるよ。