2020年から2024年初春

約丸3年

本当に色々ありすぎました。


2019.7父の癌が発覚し

2020に私は1人目を出産

この頃、父は病状が悪化し腹膜播種に。

2022に一度職場復帰。

その夏に第二子懐妊と切迫早産のため産休入り。

この頃から父の体調が転げ落ちるように悪化。

2022年秋、祖父が他界し

その2ヶ月後に父は旅立ちました。

妊娠中2回も身内の通夜葬儀に参加することに。


1人目の育休中は

祖父の介護ケア、父の病院付き添いや

治療法を調べたり段取りしたりと

とにかく忙しかったです。


そんな日々も「死」という形で

終わってしまい

2人目の育休は子育てだけに追われていました。


そんな日々も もうすぐ終わります。

春。桜の咲く季節は

祖母と伯父が亡くなった季節で

毎年物悲しい気持ちになりますが

なんだかこの3年間は人生の色々がありすぎて

10年分くらい歳をとった気持ちです。



春からまた共働きで

子供たちもまだまだ手がかかるので

大変ですが

この3年でぐんと大きくなった(はず?)の

私を、お空から父が見守ってくれると信じて。





連日の訃報

鳥山明さんとTARAKOさん

思っていたよりショックだったみたいで

何ともいえぬ虚無感から抜け出せないでいる。


ふたりともまだ60代とお若いこと。

私の子供時代に流行ったり見ていたものが

無くなっていく虚無感。

クレヨンしんちゃんの作者臼井儀人さんが

亡くなったときも、

野原ひろしの声優、藤原啓治さんが亡くなったときも

(おふたりとも50代です)

さくらももこさんが亡くなったときも、、


どうして死というものは

順に訪れないのだろう。

一日でいいから、順に訪れて欲しい。

私も、一日でいい、

一日でいいから、妹よりも先に逝きたい。


自分の慣れ親しんだものが無くなっていき

父の家族はすべて故人になり

ものすごい虚無感から抜け出せません。



50-60代は若すぎるよ。




悲しいです。。

鳥山明さん68歳
TARAKOさん63歳
ああ、また父と同じ歳、

なんだろう

60代を終えるのって
実はすごく難しいのかな
私もあと30年もきっと生きてないな

鳥山明さんは
死因からすると突然だったのでしょうか。。
突然大切な人を失う悲しみは
想像を絶します
ご冥福をお祈りします

本当に悲しい。悲しいです。



.

.

.

父は良くも悪くも

割と自分勝手な人だった。

欲望にありのままというか。

ある意味正直な人だった。


口数は少なく

でもお酒を飲むと饒舌になるんだけど

話が娘的には面白くなくて

特に仕事のこととか聞くと

色々楽しそうに話してくれた。


基本的には穏やかで優しい。

怒ると怖くて

大きな声で

「なんだときさんー!!!(貴様)」って

怒鳴るんだけど

それが怖くて

階段追っかけられたこともあったなー



タバコが好きだから

部屋がいっつもタバコ臭いし

汗臭いし

父が部屋のドアを開けっぱなしにすると

廊下やリビングまで臭くなるから嫌だったこととか


時間気にせずお腹空いたら

なんかすぐ作るんだけど

だいたいは肉焼いただけとか目玉焼きとか

焼きそばとか

フライパンが熱くなってから油ひいて

一気に焼くもんだから

煙と臭いがひどくって

それが2階にまでくるから

母、妹、私はいつもブーイング!

くさーーい!!

ちなみにこれは

病気になってからも続いた。


2階の踊り場で

女だけで夜中ついお喋りしてると

父が部屋のドアを開けて

「うるせーーー!!!」とかね

声おっきいからビビってしまう。


車も大好きな父は

エンジン音の大きな車に乗ってたから

帰ってくる前にそのエンジン音が聞こえてきて

慌てて自室に戻ったりとか、

(会いたくなくて)


いつも帰りが遅いから

晩酌まで付き合ってたら遅くなるから

さっさと部屋に戻ったり、


もうほんと 父が嫌いな時期があって

それが父に伝わって

リビングでご飯食べなくなった時期もあったし

こっちおいでよって声かけても

断られて

ご飯を部屋に持っていって食べてた父。


ちなみにこの行動はしばらく続いたんだけど

私たち娘がご飯を作ったりして

「作ったからおいでよ、一緒に食べよう」

って言い続けてたら

ある日、やっとリビングで一緒に食べてくれた。



毎日遅く帰ってきて朝早いから

家で過ごす時間なんて短いのに

いて当たり前の父親の存在を

どうしてもっと大切に出来なかったのか


後悔はそこからしている。



父は死ぬギリギリまで

私たち娘の存在に感謝してくれていたけど

やっぱりこんな時期もあったことを

私は一生後悔するんだろうなぁって思う。



幸せだったかなあ

もっと良い娘でいれたら良かった。

最近、よく父が夢に出てきます。

今日はすごく豪華なホテルに家族で泊まる夢を見ました。

その夢の中で

「去年はパパときたねー」って

母たちと語り合うシーンがあって

夢の中の回想シーンで

父はジェットコースターに笑顔で乗っていました。


夢の中でも父は死んでいました。


父が死んでから一年が経ち、

ここ最近、なんだか悲しさや寂しさが

増してきた気がします。

直後は実感がわかず

現実味がなかったのに

一年を超えると、いやでも実感する場面に

たくさん遭遇するので

その度その度に父を思い出しては

悲しくなって悔しくなります。


時間薬は 一体いつから、、?


この間、徹子の部屋を見ていて

キャシー中島さんが

「いつでもその瞬間に戻れる」ようなことを

仰られていて、

そうなんだよな、そうなんだよね

と思ったし

やっぱり永遠に続くし背負うんだなあとも

思いました。



がんになってからの父との思い出は

かけがえのないもので

長くないことを分かっていたから

とにかく日を空けずに会いに行っていたし

連絡もマメにして、写真や動画も

たくさん撮るようにしていました。


でも

子供の頃や大きくなってからの記憶は?

あんまりなくて

父親というものが鬱陶しくて

口を聞かない期間も結構あったし

自分の中にそういう思い出ばかり覚えていて

悔やんでいました。


そんなとき

YouTubeで何気なくポケモンの動画を観てたら

とあるBGMで

父との思い出がひとつ、よみがえりました。


何気ない日常の一コマだけど

それは大切な思い出でした。


子供の頃の具体的な思い出は

ふだん忘れている。

それが悲しかったけど

実はちゃんと記憶の引き出しにしまわれていて、

場所さえ分かれば、すぐに取り出せるんだなと

そんなことを感じました。



長くなりましたが

死後一年、悲しさや寂しさが増してきたけど

それは思い出が少しカバーしてくれるなぁと。

そんな思い出をたくさん思い出したいし

遺された家族で、これからもたくさん話したい

もっともっと思い出したい。

そんなことを思いました。

63歳。。

父と同じ年齢で旅立たれたのですね。


叔父も同じ年齢でした。

西城秀樹さん

岡江久美子さん


私の中で この63という年齢は

とても印象強く

壁のような数字です。


出川哲郎さんが

ご自身の亡き父、祖父の年齢が同じで

それを超えられるのか不安と言われていましたが

全く同じ気持ちです。

そこが、自分のマックスのような気がしてます。

というか

私には老後なんて贅沢な時間はないと思っている。。


母も この63を超えることが目標だと

言っています。


若いですよね 63歳。

エスパー伊東さんのご冥福をお祈りします。





居原田麗さんが亡くなられた。
まだ40代で、4人のお子さんのママですよ。
早すぎます。
しかし、その旅立ちを早すぎるで
済ませてはいけない。
余命1年と言われてから
居原田さんは丸4年闘病されました。
すごいことです。
その4年間はご家族にとって
かけがえのない、素晴らしいときだったと思います。

実はインスタで居原田麗さんに
一度メッセージを送ったことがあります。

父は標準治療をしていましたが
そろそろ終わりが見えてきた頃で
そのときの私は必死で免疫療法を含め
治療法を探していました。
居原田さんは主に免疫療法をされており
かかった金額なども書かれていたので
父に当てはまらなくてもとても参考になりました。

その送ったメッセージは
居原田さんが受けようとしている治験で
大腸がんにも適用できないかと思ったので
どんな内容の治験か知りたくてたずねたものでした。

こんな私のメッセージに
とても丁寧に返してくださいました。

残念ながら
大腸がんには適応はしない治験だったのですが
こういったものもあるんだと
情報を発してくださったことに
同じく闘病される方、
そのご家族の方々にとっては
とても参考になったと思います。


闘病される方だけをフォローさせて頂いていたアカウント。
居原田さんで最後になってしまいました。
あとはみなさん、旅立たれました。
もうこのアカウントを見ることもないでしょう。。

今日もまた
父に会いたくてトイレで泣いてしまいました。
子どもたちがいると
なかなか泣けないので
いつもトイレか、夜中のベッドで泣いている気がするなぁ、、


居原田さんのご冥福を
心よりお祈り致します。




たぶん

父が夢に出てきた。

やっぱり夢の中の父は

癌だった。


大きなステンドグラスが綺麗な大聖堂みたいなところで

木の椅子に隣同士座り合っていて

父が、私に

「お前がいてくれて良かった」

みたいなことを言ったと思う。

ちょっと良く覚えてない。


たぶん闘病にずっと付き添っていたから

そういう意味で言ったんだと思う。

これは生前も言ってくれていた。


癌のはずだせど

ちょっと若い姿だったような気もする。


こないだ私が大泣きしたから

安心させるために出てきてくれたのかな。




生前の父とのライン。

治療中はほぼ毎回付き添っていました。

薬を貰いに行くだけでも

必ず付き添いました。

悪化する前も悪化してからも。

何度も

「わざわざ来なくていい」

って言われました。

でも、絶対ついていきました。

遅刻してでもついて行ったし

用事があるときは

一旦病院で顔を見せてから、行っていました。


父をひとりにしたくない気持ちで

毎回行っていたけど

これは後に、自分のためになりました。

あのときこうしていれば、ああしていれば、

の後悔を、ひとつ減らせたからです。


有り難う。何度でも

夢の中で会いたい。

このあいだ、

夜中にふと、

自分には父親がもういないこと。

死んじゃったこと。

死ぬまでの数日間の様子、、を

思い出したりして

ぶわーーーーと泣きました。


時間薬って

どこからがそうなの?

日が経つにつれて

後悔や、

いないことの寂しさが募っていくばかり。




なんか分からない夢。


私は実家暮らしで

何故か父が勤めてた会社で働くことに。

父はもう癌だったから退職?休職してて

組織票には名前があった。

父が元気なら、一緒に働けたのに

きっと朝行くときも

一緒に行こうって言ってくれたはず

なんてことを思う。


夢の中の父は割と元気そうだったけど

精神的な不安が強いみたいで、

来週月曜日の病院に行きたくないって漏らす。

日記みたいなノートの走り書きにも

普段は綺麗な字なのに

「病院へ行きたくない病院へ行きたくない」

って乱れた字で書いてあった。


私はもう父が長くないことを分かってるんだけど

そのときはまだ61歳だったから

まだ大丈夫あと2年はある

って思いながら

「大丈夫!大丈夫!ついていくからね」

って明るく励まして、体をぽんぽんって叩いた。


あとはなんか変な夢だったけど

父が出てきたのはこんなシーンだった。



ああ、、寂しい。