コソボで、セルビア系住民が政府やNATO平和維持部隊と衝突、ウクライナ戦争への教訓 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 コソボ北部で、アルバニア系市長の誕生に抗議するセルビア系住民がデモを繰り返し、治安当局やNATO平和維持部隊と衝突し、負傷者が出ている。民族紛争の炎がまた上がっている。この状態は、ウクライナ戦争が停戦した後の秩序維持の困難さを示唆している。

 1989年のベルリンの壁崩壊後の東欧諸国の民主化に刺激されたユーゴスラビアでは、構成する共和国が独立への動きを強めていき、解体へと進む。

 1998年にはセルビアでもコソボ自治州が独立を目指し、アルバニア人の武装勢力がユーゴスラビア軍及びセルビア人勢力と戦闘に入った。

アメリカとEUの支援を受けて、2008年2月にコソボは独立を宣言したが、セルビア政府はコソボの独立に猛反対している。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本などはコソボの独立を承認したが、ロシア、中国などは承認していない。

 コソボでは、180万人の人口の90%以上がアルバニア系住民である。セルビア人は約5%である。セルビア人はコソボ北部を中心に住んでおり、北部ではセルビア人が多数派である。セルビア人は、2008年6月28日には独自議会の設立を宣している。

 北部のセルビア人は、コソボ独立に反対してセルビアから行政サービスを受けていたが、2013年のコソボ・セルビア合意の結果、同年のコソボ統一地方選挙にコソボ紛争後初めて参加した。

 しかし、今年4月の地方選挙では、セルビア人はセルビア系自治体の連合体設立を求めて、選挙をボイコットした。そのため、投票率は3.47% にとどまり、選挙の結果、アルバニア系の市長が誕生した。

 コソボのセルビア系政党の幹部は、「50票を獲得したからといって、偽の市長をここに入らせるわけにはいかない」と述べて、セルビア系住民が市庁舎を占拠しようとしたのである。市庁舎からセルビア国旗が撤去され、コソボ国旗に換えられたこともセルビア系住民の怒りを買った。

 この5月29日の抗議デモに対して、ライフル銃と装甲車で武装した警察が出動し大混乱となったため、NATO主体で36カ国が参加する平和維持部隊(Kosovo Force、KFOR)が両者を引き離すために出動したのである。

 その結果、デモ隊と激しい衝突となり、KFORの兵士数十名が負傷した。セルビアはセルビア系住民の行動を支持し、アレクサンドル・ヴチッチ大統領は、セルビア軍に最高レベルの警戒態勢を指示し、部隊をコソボ国境に移動させている。

 アメリカをはじめNATOやEUは、コソボ政府の対応を厳しく批判している。5月30日、NATOは、700人の兵士を追加派遣することを決めた。

 コソボ北部とウクライナ東部の状況が同じようである。セルビア系住民をセルビアが支援するが、これにコソボ政府は反発する。ロシア系住民をロシアが支援するが、ウクライナ政府は反発する。

 コソボをセルビアの一部とみなすセルビア政府は、コソボの独立を認めない。ウクライナを「大ロシア」の一部とみなすロシア政府は、ウクライナが勝手にNATOやEUに加盟するのを許さない。そして、昨年の2月24日、軍事侵攻までしてウクライナの「暴走」を阻止しようとしている。

 ウクライナでは、停戦後の秩序という観点から考えても、それを構想すること自体が現段階では不可能である。