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  昨年10月に始まったイスラエルとハマスの戦闘はハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃で始まったが、その後のイスラエルによる報復攻撃の凄まじさに、パレスチナ人に対するジェノサイド(集団殺害)ではないかというイスラエル批判の声も上がっている。

 

 キリスト教が広まったヨーロッパ社会では、キリスト教徒はユダヤ教徒を軽蔑してきた。こうして中世以来、ユダヤ人は差別や迫害の対象となり、就くことのできる職業も限定された。極論すれば、人間として扱われなかったのである。

 それだけに、ユダヤ人は宗教的にも、人種的にも強固なアイデンティティを確立していった。

このユダヤ人蔑視の感情や行動は、19世紀後半のヨーロッパで、ユダヤ人はセム語系統の民族であって、西欧のアーリア民族に比べて劣っているという人種主義思想となり拡散した。これが「反ユダヤ主義(Antisemitism、アンチセミティズム)」である。

 ロシアでは、1881年にアレクサンドル2世が暗殺されたが、反ユダヤ主義者は、これをユダヤ人の犯行と決めつけて、多数のユダヤ人を虐殺した。そして、それ以降、「ポグロム(ロシア語で、「破滅」、「破壊」を意味する)」と呼ばれるユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れた。

 

 反ユダヤ主義を象徴するのがフランスで起こったドレフュス事件である。ユダヤ系のアルフレッド・ドレフュス大尉がドイツのスパイだという嫌疑をかけられ、1894年10月のパリ軍法会議で有罪になり、翌年4月に仏領ギアナの悪魔島に流刑になった。

 ドレフュスの無罪を確信する作家のエミール・ゾラは、1898年1月13日付けの『オロール』紙に、フェリックス・フォール大統領に当てた「私は弾劾する」という文を書いて、この判決を批判した。

こうして、この事件をめぐって世論は二分し、フランス第3共和制を揺るがす大事件となった。当時のヨーロッパにおいて、反ユダヤ主義がいかに力を持っていたかを物語る事件である。とくに軍部とカトリック教会は、反ユダヤ主義に傾きがちであった。

1 899年に再審となったが、6月に破毀院は1894年の判決を破棄したものの、8月のレンヌ軍法会議はドレフュスに再び有罪を宣告した。しかし、ドレフュスは大統領特赦で出獄した。そして、遂に1906年7月12日に破毀院はレンヌ軍法会議の有罪判決を無効としたのである。

 

 このドレフュス事件をパリで体験したのが、ハンガリー出身のユダヤ人ジャーナリスト、テオドール・ヘルツル(1860年〜1904年)である。

 ヘルツルは、ウイーンの新聞の特派員としてパリに滞在しているときにドレフュス事件に遭い、フランスの反ユダヤ主義に衝撃を受けた。そして、「ユダヤ人が自らの国を建設する以外に問題は解決しない」と考えるようになったのである。ヨーロッパ以外の地にユダヤ人が安住できる国家を作ろうと考え、行動に移した。これがシオニズムである。シオンとは、エルサレム南東にある丘の名前である。ユダヤ系財閥のロスチャイルド家は財政的にこの運動を支援した。

ヘルツルは、1897年にスイスのバーゼルで第一回シオニスト会議を開いた。

 そして、その運動は1948年5月のイスラエル建国につながったのである。それから75年が経つ。今回のイスラエルとハマスの戦争で、また新たな反ユダヤ主義が台頭するのを危惧する。

 

 

 

 

 3月4日、フランスでは、憲法に女性が人工妊娠中絶を選択する自由を明記することを決定した。世界初のことである。

アメリカと比べて、フランスではキリスト教との関係はどうなっているのか。さらには憲法改正については、何度も実行しているフランスと、まだ一度も行っていない日本との比較も興味深い。

 

 憲法改正については仏憲法89条に定められている。改正案を提出できるのは、(首相の提案に基づく)大統領か国会議員である。国会の上下両院で可決された後に、国民投票による承認を経て確定する。ただし、大統領は、国民投票に代えて国会の両院合同会議(コングレ)の審議に付することができ、この場合には有効投票の5分の3の賛成によって改正が確定する。

今回は、後者の両院合同会議の議決である。コングレは、ヴェルサイユ宮殿で開かれることになっている。3月4日の投票では、780票vs72票の圧倒的多数で可決された。まさに圧勝であり、5分の3の多数を遙かに超えた。投票をテレビで視たが、議員が総立ちで拍手喝采している様子は壮観であった。

 

 フランスが人工中絶の権利を憲法に明記することを決めたとことに対して、カトリックの総本山ヴァチカンは、「人間の命を奪う『権利』などあってはならない」と懸念を表明し、生命の保護が絶対的な優先事項となるべきだと強調した。

 カトリックが多数派のフランスで妊娠中絶の自由を守ろうという機運がフランスで盛り上がった背景は、アメリカで、連邦最高裁判所が、2022年6月、妊娠中絶を憲法上の権利と認めた判決(ロウ対ウェード判決)を49年ぶりに覆したことである。

このような保守的な判決が増えたのは、トランプ大統領が在任中に連邦最高裁に3人の保守派判事を送り込み、過半数を保守派判事で占めさせたからである。

「キリスト教のアメリカ」では、妊娠中絶の自由を憲法に書き込むことはないであろう。もしトランプが大統領に再選されれば、強硬に反対することは確かである。

 

 これに対して、フランス革命の伝統を誇り、「自由、平等、博愛」を掲げ、それを三色旗の国旗にしているフランスでは、人権の擁護が最前線に出る。自由のための戦い、女性の健康、平等の実現などが国民の共通認識となっている。

 マクロン大統領は、今回の憲法改正は「フランスの誇り」であり、「普遍的なメッセージ」を送るものだと述べた。フランスでは、1975年に中絶が合法化されたが、世論調査では85%のフランス人が中絶の権利を憲法に明記すべきだと述べていた。

法律の合憲性を審査する憲法院は、中絶法に関して違憲だとの判断を下したことはない。

 

 20世紀以降のフランスのもう一つの原則は「政教分離」である。国家と教会を分離するという原則で、国や地方自治体の宗教予算は廃止され、信仰は個人の私的領域のものとなった。教会も国家から保護を受けることはない。徹底した政教分離の原則を守っている。

 このこともまた、妊娠中絶の権利を憲法に明記することに対する教会の介入を排除することにつながったのである。

カトリックのフランスと、プロテスタントのアメリカは全く違う国家である。

 

 イギリスを構成する北アイルランドの首相に、初めてアイルランドとの統合を掲げる政党の幹部が就任した。

 イギリスは王制であり、正式名称は「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)」である。イギリスは、イングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの地域から成っている。

 アイルランド島は12世紀にイギリスの支配下に入ったが、イギリスはプロテスタントの国であり、カトリックの多いアイルランドでは、19世紀になると、カトリック教徒が自治権拡大を求めるようになった。

 20世紀にはシン・フェイン党を中心に独立運動が激化し、アイルランド共和国軍(IRA)が武装闘争を開始した。1920年には、ロイド・ジョージ内閣がアイルランド統治法を成立させ、北アイルランドはイギリス領とし、それ以外の地域は高度の自治領とした。

 1921年にはイギリス・アイルランド条約が締結され、南部26州がアイルランド自由国として独立した。北部6州はイギリス領となった。

 しかし、北アイルランドでは、イギリス派とアイルランドの完全独立を主張する勢力の内戦が続いた。第二次世界大戦後の1949年には南部26州がアイルランド共和国として正式に独立した。

12世紀以降、北アイルランドにはイギリスからプロテスタントが流入しており、プロテスタントが多数派で、英国統治の継続を求めていきた。彼らは、ユニオニスト(英国派)と呼ばれる。一方、少数派となったカトリックは、イギリスからの分離・アイルランド共和国への併合を主張し、ナショナリスト(共和派)と呼ばれる。

 現在の政党は、前者が民主統一党(DUP)、後者がシン・フェイン党である。EUとの関係については、前者が離脱、後者が残留を支持する。

 両勢力による対立は、悲惨な流血の惨事を生み、第二次世界大戦後も1969年に紛争が始まり、爆弾テロなどを含む激しい戦闘が続いた。

 1998年4月10日にイギリス政府とアイルランド共和国政府の間でベルファスト合意が結ばれ、ユニオニスト、ナショナリストの両派により構成される自治政府が成立し、和平に至った。

 2016年6月23日に行われた国民投票で、イギリスはEUから離脱(Brexit)を決めた。そのため、イギリスと北アイルランドの間の物流が複雑化し、これにDUPが反発し、2017年1月に自治政府は機能を停止した。

 ところが、今年の2月1に、EUとイギリスが、英国本土と北アイルランドの通関手続きの簡素化で合意したことで、自治政府が再開された。2月3日、シン・フェイン党から初めて、ミシェル・オニール副党首が北アイルランド自治政府の首相に選ばれた。副首相はDUPからである。

 北アイルランドの両派とも、EU離脱決定後の措置によって、英本国に裏切られたという思いが強い。スコットランド民族党はBrexitに反対であり、独立志向を高めている。これらの動きは、連合王国の解体へとつながるかもしれない。

 離脱というハードルを乗り越えて、今よりも強い、そして今よりも豊かなイギリスを見ることができるのであろうか。北アイルランド問題も、Brexitの大きなツケであることを忘れてはならない。ポピュリズムがもたらした負の遺産である。