舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

  昨年末に中国を訪ねた。北京で習近平政権の要人に会い、広州で開催された国際会議に出席した。春にも訪中したが、先端技術分野での開発の進展ぶりには目を見張るものがあった。とくにEV(電気自動車)における進歩は目覚ましい。

 広州では、完全自動運転のタクシーに乗ったが、スマホで呼ぶと5分以内にタクシーが到着し、きちんと目的地まで送り届けてくれる。支払いなど、全てスマホ一つで済む。AIによるデータの集積と学習、優れたセンサーの技術などが統合された成果である。

 完全自動運転の車は市販もされており、すでに愛用している広州市民もいる。自動運転なので、運転は任せて、自分は車の中で朝食をとったり、化粧をしたりしながら、勤務先にむかうという時間の有効活用ができる。しかも、ルール通りに走るので、安全運転で事故の心配もない。

 12月18日、ホンダと日産が経営統合することが明るみに出た。この両者が統合すると、トヨタ、フォルクスワーゲンに次ぐ、世界第三位の巨大自動車メーカーとなる。来年の6月に正式に統合する予定で、協議が進められている。

 その背景にあるのが、中国のメーカーによるEVでの世界席巻である。ドイツの自動車メーカーも日本と同じ状況にある。10年前には中国の富裕層はベンツをはじめとする日独の高級車に乗っていた。ところが、今は様変わりで、国産のEVが溢れ、海外にも輸出攻勢をかけている。

 EVの販売台数の世界ランキングを見ると、1位がテスラで174万9200台、2位が中国のBYDで145万2100台、3位がVWで73万1900台、4位がGMで60万4100台、5位が吉利自動車で47万8500台、6位が広州自動車で47万6100台、7位がヒョンデで39万2500台、8位がBMWで36万5900台、9位が上海自動車で29万2100台、10位がステランティスで27万9300台ある。日本勢は、日産が16位で13万3000台、トヨタが23位で8万6700台、ホンダが28位で1万9000台となっている。

 中国EV成功の理由は、政府の積極的な補助金政策にある。

 中国政府は、他の先進国の独壇場であるエンジンなどの内燃機関ではなく、2000年代初頭からEVに先行投資することにした。それが今、実を結んでいるのである。また、プラグインハイブリッド車の開発に集中しているメーカーもある。充電に時間がかかる、走行距離が短いなどのEVの欠点を補うからである。

 中国のEVは低価格であり、しかも充電も自宅で簡単にでき、コストも低い。

 補助金については、旧型車からEVに買い換えると、今は1万元(約20万円)程度の補助金を出している。その他、渋滞を緩和するために導入されているナンバー登録の取得が容易になるなど、様々な特典がある。

 このような補助政策が奏功して、中国のEVは国内のみならず、世界市場を席巻していっている。

 アメリカは、9月27日に、中国製EVへの関税を従来の4倍の100%に引き上げた。さらに、EV用のリチウムイオン電池への関税を7.5%から4倍の100%に、太陽光発電設備への関税を25%から50%に引き上げた。

 また、EUは、10月29日、中国製EVに対して、今後5年にわたり、従来の10%に7.8〜35.3%を上乗せし、最大45.3%の関税を課すことを決めた。

 欧米が、中国EVの攻勢をいかに恐れているかということである。

 

 

 

 12月3日夜、韓国の尹錫悦大統領は「非常戒厳」を宣告し、それ以降、韓国政治の混乱が続いている。1月15日には、尹錫悦大統領が拘束された。現職大統領の拘束は前代未聞のことである。

 文在寅政権の下で、日韓関係は悪化した。文在寅が実行した対日強硬策の背景にあるのは、朝鮮文化の基調をなす「恨(ハン)」の思想である。

「恨」とはどういうものなのか。これは、単なる恨み、辛みではなく、悲哀、無念さ、痛恨、無常観、優越者に対する憧憬や嫉妬などの感情をいう。「ハン」の具体的な対象は、「徴用工」や「女子勤労挺身隊」にとっては、植民地支配をし、朝鮮人を「強制連行」した日本である。まさに、その「恨」が、怨念や被害妄想につながる。

 次に指摘したいのは、この「恨」の思想は、政権交代のときに、前政権に対しても浴びせかけられる。韓国では、政権交代があると、前政権のトップは刑務所行きになったり、自殺を迫られたりという悪しき習慣がある。日韓合意をはじめ、前政権が行ったことは全て悪だということになるのである。これを「先王殺し」という。

「恨」の思想と、「先王殺し」が続く限り、日本との関係改善は困難であるが、今回の尹錫悦の弾劾騒ぎで、またその悪しき伝統がよみがえるのではないか。

 尹錫悦は、なぜ無謀とも言える戒厳令を布告したのか。韓国のマスコミでは、保守系のYou Tuberが拡散するSNSの内容を鵜呑みにしたからだと言われている。

 尹錫悦は、戒厳令を出した理由として、与党が敗北した4月の総選挙で不正が行われたからだという。それは、野党の「共に民主党」が大勝したのは、北朝鮮が操ったからだという韓国版「ネトウヨ」の主張と同じである。

 尹錫悦は、北朝鮮によるハッキング攻撃を行われたのに、選挙管理委員会が調査を拒否したので、同委員会に戒厳軍を突入させたという。国会よりも先に、まず選管に軍を入れたのである。

 12月12日の国民に対する談話の中で、尹錫悦は、「システム装備の一部だけを点検しましたが状況は深刻でした。いくらでもデータ操作が可能であり、ファイアウォール(安全対策)も事実上、ないに等しい状態でした。暗証番号もとても簡単で『12345』のようなものでした。民主主義の核心である選挙を管理する電算システムがこんなにでたらめなのに、果たして国民が選挙結果を信頼できますか?」 と述べている。

 中央選挙管理委員会は、北朝鮮がハッキングした痕跡は見つからなかったと反論しているが、尹錫悦は、それを信じず、点検が不十分だと信じているようだ。

 真実はどこにあるかは不明だが、一国の最高指導者までがSNS上の陰謀論に毒されるのは深刻な事態である。

 「恨の思想」、「先王殺し」に加えて、SNSの猛威もまた、韓国の新たな足枷となっているのかもしれない。

 

  シリアでは、2024年11月27日以降、反政府勢力が攻勢を強めていたが、12月8日に首都ダマスカスを制圧した。アサド大統領は家族とともにモスクワに逃亡し、ロシアに亡命した。アサド政権は崩壊した。この政変はなぜ起こったのか。そして、世界にどのような影響を及ぼすのであろうか。

 シリアは、1946年にフランスから独立し、シリア第一共和国となった。しかし、クーデターが繰り返され、政情が不安定な状況が続いた。

1970年に、バアス党内で穏健派のハフェズ・アサドが権力を掌握して大統領に就任し、その後は独裁的権力を行使した。

 2000年にハーフィズ・アサドが死ぬと、次男のバッシャール・アサドが後継大統領となった。彼は、一定の民主化を進めたが、2003年のイラク戦争で、同じバアス党のサダム・フセインが倒れた後は、基本的人権を弾圧し、独裁色を強めた。

 2010年のチュニジアのジャスミン革命を契機に、シリアでも40年にわたるアサド家の独裁に対する国民の不満が爆発し、2011年春に抗議運動が起こった。これに対して、アサド政権側は、ロシアやイランの支援を受けて対抗し、内戦となったのである。

 これにスンニ派の過激派テロ組織であるイスラム国(IS)も介入したため、内戦が泥沼化していった。そのため、大量の難民が発生し、国外に避難した人は660万人、国内で避難生活を送る人は670万人と、第二次大戦後、最悪の難民となった。

 2015年9月30日、ロシアはアサド政権を支援するために、ISに対して空爆を行った。ロシアの介入の大義名分は、国際テロ集団ISを壊滅させるためだということである。

 トランプ政権がシリアから実質的に手を引き、ロシアはアサド政権を継続させることに成功した。その結果、中東におけるロシアのプレゼンスが高まった。

 アサド大統領は当事者能力を欠く凡庸な指導者であるが、これまでの経過から、シリアの現状を見れば、ロシアのみならず、欧米諸国も協力してアサド政権を支えていくしか他に手がないというのがこれまでの考え方であった。

 ところが、その後、1年半経ったところで、アサド政権崩壊という大どんでん返しが起こってしまった。

 その背景にあるのは、アサド政権の後ろ盾であるロシアが、ウクライナ戦争に集中せざるをえない状況にあり、アサドへの支援が減ったことがある。また、レバノンに拠点を持つイスラム教シーア派組織のヒズボラが、イスラエルとの戦争で弱体化し、停戦の余儀なきに至ったこともある。その停戦が発効した11月27日に反政府勢力は大攻勢を始めたのである。

 イスラム過激派組織「シャーム解放機構(ハヤト・タハリール・シャム、HTS)」が主導する勢力が、わずか12日で、父子が50年以上にわたって続けてきた独裁体制が崩壊させたのである。

 しかし、平和裏に政権以降ができるかどうかは不透明である。シリアで安定した政権が容易に成立すると考えるのは楽観的すぎるであろう。今後の展開を注視したい。