7月4日都議会選挙:都議会は活性化するか? | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 7月4日は都議会選挙である。

 小池都政を振り返ると、コロナ対策についても、彼女は国と対立を繰り返してきた。パフォーマンス優先で、首相よりも自分が目立つことばかりを考えている。彼女のマスコミ向けの勇み足で、何度も政府は有効な対策を打つタイミングを失してきたのである。

 財政面でも、都の「貯金」を直ぐに食い尽くしてしまったために、もはや国に頼るしかなくなったのである。そこで、小池都知事は、私党である都民ファーストの会を捨てても、自公連立政権と手打ちをしたほうが賢明だという判断をするのは当然だ。

 公明党が、その考えに従って握手する相手を自民党に変えたので、都議会選挙の結果など何も心配しなくてよいことになる。第一党の自民党と公明とが過半数を制して与党となれば、都政運営には何の問題もなくなる。もともと、公約などを掲げても、「ペットの殺処分ゼロ」くらいしか実現できない程度であり、情報公開の約束など、実現できないところか、むしろ情報隠匿に走っているくらいだからである。

 彼女の最終目的は国政復帰であり、総理の座を狙うことである。

 利用できる者は利用し、使い途がなくなったら見向きもしないのが、彼女の政治家としての特質であり、ある意味でマキャベリズムを体現した政治家の典型である。捨てる相手は、細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎、そして今度は二階俊博なのだろうか。

 国政だと、衆議院選挙で大敗すれば、内閣は吹き飛ぶ。それは議院内閣制だからである。これに対して、都政は大統領制である。アメリカのように三権分立である。私の経験からすれば、アメリカの大統領制よりも、議会は独立性が強く、都知事を利用するだけで、遙かに勝手気ままな行動をする。

 知事の人気が高いと、すり寄って知事側近であるかのように振る舞い、選挙の道具にする。しかし、ひとたび知事の人気が陰り始めると、さっさと袖にする。その典型が公明党であり、裏切りも平気である。

 しかも、都議会議員は「二元代表制」という言葉を声高に叫ぶ。つまり、「知事と同じように、自分たちも有権者に直接選ばれた代表なのだ、だから知事と同等の権力を持っているのだ」と豪語するのである。そこから来るのは、知事は利用すべき対象であり、邪魔になれば捨てれば良いといった奢りである。

 予算案にしても議会の承認がいるし、条例も議会が反対すれば可決されない。そこで、知事の目の届かないところで、都議会議員たちは都庁の役人を呼びつけ、様々な要求を出したり、陳情したりする。とりわけ、議会の多数派に属する議員の力は絶大である。

 そこで、長年第一党の地位にあった自民党では、内田茂議員(現在は引退)のようなフィクサー的なドンが誕生するのである。潤沢な税収のある東京都では、官僚機構を意のままに動かせれば、配分できる利権は山ほどある。それが、政治資金や票に変わっていく。役人にしても、自らの好む方向に議会が舵を切ってくれれば万々歳である。

 こうして、政官業の癒着が生まれるのである。国会議員として、また大臣として国政の場に身を置いた経験からすると、都議会は冬眠しているようなものである。都議会ではすべてが予定調和で、政策論議などはほとんどない。国会のような丁々発止の激論など期待できないのである。

 7月4日の都議選の結果、都議会は少しは活性化するのだろうか。