自民党の弱体化と官僚機構の自立性喪失 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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  私は2007〜09年、厚労大臣として諸問題の解決に奮闘したが、その頃と最近とでは大きく異なる点がある。第一は、自民党の劣化であり、第二は、各省庁の自律性の低下である。要するに、首相官邸の力が強大化しすぎて、与党も官僚機構も萎縮してしまっているということであり、それは安倍長期政権がもたらす日本の政治システムの機能不全である。

  私が厚労相として取り組んだ問題の中から、具体的な例を二つ挙げてみよう。一つは、年金記録問題である。これは政権交代にまでつながる大問題であったが、2007年春頃からマスコミで大騒ぎになったとき、私は参議院自民党政審会長であった。今大臣の職にある世耕、茂木議員らと党内に特別チームを作り、解決策を考えた。

  その後の夏の参院選で自民党は大敗し、民主党が第一党となり「ねじれ国会」となったが、選挙後の安倍改造内閣で閣僚として私が対応することになったのは、この事前の党内での作業があったからである。つまり、当時の自民党は、政府に先駆けて問題解決に当たる「改革勢力」だった。

  また、妊婦のたらい回し事件が起こり、医師不足など「医療崩壊」が問題になったが、これが二番目の例である。開業医が中心の医師会は商売敵が増えるのを恐れ、厚労官僚は医師数を抑える規制権限を維持しようとして、医師数は充足しているという主張を続けていた。

  自民党の厚労族議員は、この主張を支持したが、それはまさに政官業の癒着、鉄のトライアングルである。私は、この「抵抗勢力」と戦い、2008年6月、11年ぶりに閣議決定を変更して、医師養成数の増員に踏み切った。

 「改革勢力」であれ、「抵抗勢力」であれ、自民党が大きな存在感と力を持っていた。様々な改革を実行しようとするとき、大臣としてまず対峙しなければならないのは、自民党の厚労族だったのである。「党高政低」である。

  ところが、近年の日本は様変わりして、「政高党低」であり、首相官邸に権力が集中しすぎている。自民党政治家も役人も官邸の鼻息ばかりうかがっている。どうすれば大臣になれるか、どうすれば局長や次官になれるか、安倍首相・菅官房長官に気に入られることばかり考えている。

  その結果、自民党では政府と対決できるような族議員が死滅しつつある。また、官僚機構では忖度が大流行となる。しかも、2014年5月30日に内閣官房に内閣人事局が設置され、各省庁の独立性が弱まっている。

  高級官僚の人事権を内閣が握れば、省あげて官邸と対決することなどできなくなる。また、官邸と関係の深い省庁から序列が決まってくる。厚労省や文科省は首相秘書官を出していないが、財務省や経産省は出しており、それが厚労省や文科省が秘書官出身官庁に卑屈になる理由である。

  私のかつての部下で次官候補だった優秀な人材は、今は左遷されて海外に出されている。このような例を見ると、官邸にゴマをする役人ばかりになってしまうであろう。内閣人事局が発足した翌年が2015年であり、安倍政権の長期化が当然のように思われていた時期である。忖度行政が跋扈するのは当然である。「長期政権は腐敗する」ということの一つの証左であろう。