舛添要一のヒトラー入門(19):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・⑭ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

  フランスがいかにドイツを恐れていたか、フランス外務省の外交資料室で外交文書を閲覧していて、1922年6月30日のフランス政府のイギリス政府宛の覚え書きも見つけた。次のように書いてある。

 

 「ドイツはフランスより人口が1.5倍もあり、またフランスよりも優秀な工業力を有しており、二重に有利に立場にある。従ってフランスは安全のためには、時間という点でドイツより優位に立たざるをえない。もし攻撃された場合、迅速な動員のみが、ヴェルサイユ条約により与えられた利点を活かし、1914年の轍を踏まない道である。」

 

 さらにフランスに比べてドイツの出生率が遙かに高いという事実は、フランス人の間に将来に対する不安をかきたてた。

 それは、下院外交委員会の記録の一端にもよく窺える。

 

「ミロー委員は、ドイツの出生率の増加によってもたらされる危険性を強調した。ブルジョア委員(将軍)は、この意見に賛成し、<武器はなくとも頭数(あたまかず)>という兵学上の諺を引用した。」

 

 第一次世界大戦が終わった直後の1922年において、ポアンカレは「時はすでに我々に不利に働いたのである」と嘆いたのである。

 このように、第一次大戦後にフランスが最大の関心を払った問題は、安全保障であった。

 過去50年間に二度もドイツ軍の侵入を経験したフランスにとっては、将来起こりうるドイツからの攻撃に対して、自らの安全を確保することが最大の課題であった。

 ドイツによる攻撃を、フランスは「特別な危険」と呼んだ。