20世紀文明論(47):スピードの世紀⑭・・情報伝達手段の発達❷ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 前回は、江戸の飛脚便について振り返ってみたが、今回は明治に開始した近代郵便事業についてみてみよう。

 明治維新の後、1871(明治4)年4月20日(旧暦3月1日)に、前島密の建議によって近代郵便事業が始まった(郵政省郵便局郵便事業史編纂室『郵便事業120年の歴史』)。

 まずは、東京-京都-大坂間でサービスが開始されたが、サービス開始初日に東京から差し出された書状が134通、大坂・京都から東京宛が40通であった。

 近代郵便がそれまでの飛脚と違うのは、①国営、②切手の使用、③郵便ポストの設置、④宛所配達、⑤全国均一料金という点である。

 創業当時の新式郵便のスピードは、東京-京都間が72時間、東京-大阪間が78時間であった。輸送に携わったのは、逓送人あるいは逓送脚夫と呼ばれる人で、3貫目(11.25キロ)の郵便行李を担いで、各駅間を2時間に5里(約20㎞)の速度で進んだ。

 江戸時代に幕府の公文書を運ぶ「継飛脚」が、江戸-大阪間で、普通便で75時間、至急便で65時間かかっている。人力に頼る以上、配達速度については、明治の新式郵便は江戸の飛脚の域を出ていない。

 その後、馬車輸送や船舶輸送も取り入れられたが、1872(明治5)年の鉄道開通とともに、鉄道も利用されるようになった。そして、鉄道網が全国に拡大されるに従って、鉄道の活用が増えていった。

 とくに1892(明治25)年以降、配達速度が飛躍的に向上した。1908(明治41)年には、大都市で自動車も使用されるになった。さらに、1919(大正8)年には、初めて飛行機を使った「飛行郵便」が実施され、次第に定期郵便飛行が拡大していった。

 このような歴史を経て、今日では、飛行機、鉄道、高速道路を機動的に使い、東京で投函した郵便物は翌日には大阪で配達されるようになっている。