舛添要一のヒトラー入門(16):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・⑪ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 昨日、 日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕され、世界に大きな衝撃が走ったが、日産はルノーや三菱自動車と三社連合を結び、2018年上半期では世界一の販売台数を誇っている。

 実はフランスのルノーは、ヒトラーと深い関わりがあるのである。

 フランスの技術者ルイ・ルノーは1898年に後輪駆動のシステムを発明し、翌年には小型自動車を市販して成功し、ルノー社を立ち上げた。

  その後、ルノーは順調に売り上げを伸ばしたが、第二次大戦が始まり、ドイツ軍の猛攻にフランスは敗退した。1940年6月にパリが陥落して、ヒトラーに占領されてしまうが、占領下に、フランス政府はパリからヴィシーに逃れ、ペタン元帥が首相になって間接統治を始める。

 これをヴィシー政権の間接統治と呼ぶが、ルノー社はこの政権に協力する。それは生き残るために仕方のなかったことであり、レジスタンスに身を投じたフランス人など少数派である。

 その点については、池村俊郎は、『戦争とパリ』(2003年、彩流社)の中で、次のように書いている。

 「戦後、あまりにレジスタンス神話が行きすぎた あまり、あたかも全フランス人が対ナチ対抗運動に立ち上がったかのようにいわれがちだが、事実は違う。百人のうち90人は何もしない傍観者で、8人が積極的なコラボ(ナチス協力者)、やっと残り二人がレジスタンスという皮肉な生き方がある。それが現実に近かった」(259p)。

 しかし、連合軍がナチスを撃退し、ドゴール将軍が帰還し政権に就くと、「対独協力」のかどでルノーは国営化されてしまう。

 こうして、戦後は「ルノー公団」として再出発する。日本のケースと違って、この公団は、私が若い頃留学したフランスでよく乗った大衆車「4CV」を売り出すなど、大成功を収めた。

 公団総裁だったPierre Dreyfus氏は、“Une Nationalisation réussie : Renault(成功した国有化:ルノー)”(1981,Fayard)の中で、ルノー公団がいかに順調に発展して行ったかを語っている。

 こうして、戦後フランス政府がルノーの経営に深く関わることになったのである。これもまた、ヒトラーの遺産と言えなくもない。