舛添要一のヒトラー入門(17):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・⑫ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されたが、ルノーは私のフランス留学の思いでの車でもある。第二次大戦後に国有化され、ルノー公団となったにもかかわらず、民間会社よりも優れた成果を上げている。

 そのことは、ルノー公団の総裁を20年間にわたって務めたピエール・ドレフュス氏が語っているが、その象徴が大衆車「4CV」の成功である。フランス語でcheval(馬)の複数形がchevauxで、略してCVと書くと馬力を意味し、「4CV」とは4馬力という意味である。

 グルノーブル大学で語学研修を始めたときに最初に知り合いになったジャンリュックが乗っていたのが、この「4CV」であった。日本の重厚な車になれていたので、ブリキ板で作った軽くて安っぽい感じで馬鹿にしたくなる気分であった。

 しかし、実際に乗ってみると操作しやすいし、燃費も抜群で、自分で修理もできる。とにかくよく走る。それに、大学院生でも購入できる価格の安さは抜群であった。「4CV」は1947年に発売されたが、大衆に歓迎され、ミリオンセラーとなった。

 11月17日のブログ、「20世紀文明論(45):スピードの世紀⑪・・自動車文明❶」でも書いたが、大衆車というのは価格が勝負である。T 型フォードは、850ドル(1908)→550ドル(1913年)→355ドル(1924年)と値段を下げ、最終的には290ドルにまでなった。

 価格設定について、このT型フォードを真似たのが、「4CV」であるが、ヒトラーも同様である。ヒトラーが計画したのが、国民車「フォルクスワーゲン」であった。

 ナチスの正式党名はNSDAP(国会社会主義ドイツ労働者党)である。この党名にある「社会主義」、「労働者」という言葉に注目すべきである。ヒトラーは、左翼のポピュリストである。失業問題に取り組み、アウトバーン(高速道路)建設などの公共事業で雇用を生んだ。だから国民の圧倒的な支持を得たのである。

 そして、ヒトラーは、労働者の夢である車を、安価な価格で購入できるように努力したのである。これがフォルクスワーゲン(Folkswagen)である。Folk とは大衆、Wagenとは車という意味であり、文字通り大衆車である。ヒトラーもフォードの真似をしたのである。

 そして、ヒトラーに協力してこのフォルクスワーゲンを作ったのが、スポーツカーのポルシェで有名な技術者フェルディナント・ポルシェであった。1936年に試作車が完成するが、第二次大戦勃発で、大衆に車をというヒトラーの夢が叶うのは、戦後のことである。

<ヒトラー(中央)にフォルクスワーゲンの模型を説明するポルシェ(左)>