舛添要一のヒトラー入門(14):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・❾ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 パリ大学現代国際関係史研究所には、JBデュロゼル教授の下、大学院生、助手、助教授、元将軍など多くの研究者が集まったが、外国人は、アメリカ人のミッチェルとドイツ人のハンスヨルクと私の3人のみであった。

 われわれ3人は、外国人3人組として、研究を協力し合うとともに、一緒に食事に行ったりした。休暇中は、ドイツのシュツットガルトにあるハンスヨルクの実家に遊びに行った。 

 ミッチェルは、今はシカゴに住んでいるが、2年前にもワシントンDCで再会している。グルノーブル大学の仲間たちとも、今でも手紙のやりとりをしている。若い頃に海外留学したことが、友達を通じて、その後の人生を豊かなものにしてくれたと思っている。

 グルノーブル大学と言えば、韓国の前朴槿恵大統領の初の海外留学先でもあり、私と相前後して同じキャンパスで学んでいたが、お母さん(朴正煕大統領夫人)が暗殺されたため、ファーストレディーの役割を果たすために急遽帰国している。私は、2014年夏に青瓦台で彼女と会談したが、不思議な縁である。

 さて、パリでは研究所での勉強に加えて、論文執筆のため、第一次世界大戦後のフランスの国会審議の議事録、外務省の外交公電などの資料を漁る日々が続いた。

 グルノーブル大学からパリに移った私は、まず国際学園都市の学生寮、フランス地方館に入ったが、その後、パリ市内のアパルトマンに住むことにした。ソルボンヌ(パリ第一大学)にも近く、外務省や国民議会にも近い最適な場所であった。

 7区のサン・ドミニク通りである。エッフェル塔と廃兵院の間にある、おしゃれな通りである。

 外務省や国民議会まで、徒歩で、10~15分で到着する。ソルボンヌまではメトロ(地下鉄)で15分くらいである。午前中は外務省資料室で電報などの資料を読む。午後は、国会に行って、議会議事録、政治家の手紙などを読み、議員図書館で当時の諸文献に当たる。

 国民議会のこの図書館には、ジャンジャック・ルソーの『社会契約論』の初版など貴重な本があるし、ブルボン宮殿なので天井画はドラクロアが描いたものである。幸いなことに、最高の環境で研究を進めることができた。

<モーリス・ユトリロと彼の絵「サン・ドミニク通りとエッフェル塔」>