舛添要一のヒトラー入門(13):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・❽ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 パリ大学で研究を進めるうちに、第二次大戦を生き抜いたフランスの政治家たちとも知り合いになった。

パリ大学の現代国際関係史研究所でセミナーなどに参加するとともに、戦間期のフランス政治史の論文を書くために、外務省の資料室に通い、毎日、外交公電などの資料を解析した。

 さらに、日本の衆議院に当たる国民議会にも行き、資料室や議員図書館(日本では国会図書館に相当)に入って調査する許可をもらった。この国民議会が、私にとって、多くの出会いの場となったのである。

 議員図書館には、元議員で、ドゴールの右腕だった政治家(たとえばドゴール政権の司法大臣だったルイ・ジョックス、Louis Joxe)、1936年に成立したレオンブルムの人民戦線内閣の閣僚(たとえば、空軍大臣のピエール・コット、Pierre Cot)など、日本にいたときに歴史書で見た錚々たる人物が、気軽に私に声をかけてくれたのである。

 45年前のことであるから、若い日本人研究者が国会で勉強しているのは、実に珍しい光景であったに違いない。私の研究内容を尋ねて、実際に戦前に政治家とした関わった仕事などを話してくれた。

 また、彼ら長老の元議員の子どもたちが、二世議員として国会で活躍しており、私に紹介してくれた。私より10~20歳年上の現職議員で、保守党、社会党と様々な党派に属しており、彼らからは、日々展開されるフランス現代政治について多くのことを学ぶことができた。

 国会で会った政治家たちは、戦後の第四共和政、第五共和制を基本的に肯定し、ナチス統治下のフランスはもちろん断罪する。したがって、ヒトラーが支配するフランスで首相を務めたペタン元帥に対しては、極めて厳しい姿勢を示した。フランスでもユダヤ人を含め多くの犠牲者が出ており、そのような姿勢は当然であった。

 国会で政治家をはじめ、数多くの知り合いができたおかげで、ペタン元帥の姪と結婚し、元帥の官房長官を勤めた男性(ルイ=ドミニク・ジラール、Louis-Dominique Girard)を紹介してもらうことができた。彼は、もちろん元帥擁護派である。

 私を自宅に招いてくれたが、ペタン元帥の姪である彼の妻も健在であった。彼は、「もしナチスが直接統治していたら、フランス人はもっと悲惨な目に遭っていたであろう。ペタンのヴィシー政権による間接統治の効用もまた、冷静に考えてほしい」と力説した。

 外国人の私には十分に説得的であったが、その意見はフランス人に受け入れられるものではなかった。