20世紀文明論(43):スピードの世紀⑨・・空の征服❸ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

 1957年10月4日、ソ連は人類初の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げに成功した。アメリカに先駆けてのソ連の快挙は、アメリカに大きな衝撃を与えた。まさに「スプートニク・ショック」であるが、スプートニクを軍事転用すればアメリカを核攻撃できるのだから、そのショックは当然である。

 しかも、1ヶ月後の11月3日、スプートニク2号が小型のライカ犬を乗せて打ち上げられ、人間の宇宙旅行の可能性を切り開いた。当時小学生であった私は、大空を見上げ、スプートニクが飛行していくのを眺めながら、宇宙旅行への夢を抱いたものである。

 ソ連に遅れをとったアメリカは、翌1958年1月31日、ジュピターC改良型4段ロケットを打ち上げ、人工衛星を軌道に乗せることに成功した。この人工衛星がエクスプローラーである。また、この年10月にはNASA(アメリカ航空宇宙局)が発足し、ソ連に追いつくための体制が強化された。

 しかし、1961年4月12日に、ソ連は世界初の有人宇宙飛行に成功する。午前9時7分、ユーリ・ガガーリン少佐を乗せてバイコヌール基地から打ち上げられたボストーク1号は、地球を一周して午前10時55分、無事に地上に帰還した。

 「地球は青かった」というのが、ガガーリンの印象であったが、このソ連の成功にアメリカはまたしても大きなショックを受けたのいである。

 ソ連に遅れること10ヶ月、1962年2月20日、ジョン・グレン中佐が乗り込むアメリカ初の有人宇宙船、フレンドシップ7号が打ち上げに成功した。しかし、アメリカは常に2番手であり、その遅れを挽回すべく、ケネディ大統領は、国家の威信をかけて「1960年代の終わりまでに人類を月面に着陸させる」というアポロ計画をスタートさせる。

 そして、度重なる試行錯誤の末、ついに1969年7月20日、アポロ11号が月面着陸に成功し、アームストロング船長が人類史上初めて地球以外の天体に足跡を記したのである。

 私は東大のキャンパスで経済学の講義を聴いていたため、歴史的瞬間をテレビで見ることができず、残念に思ったのを記憶している。

 この歴史的快挙、月面滞在は2時間31分30秒であった。そして、任務を終えたアームストロング、オルドリン両宇宙飛行士は、24日、太平洋に無事着水し、119時間18分、120万㎞の宇宙の旅を終えたのである。