夏の暑い間、フランス人学生たちと一緒に生活を楽しみながら、フランス語の会話能力を高めることができた。また、毎日、新聞『ルモンド(Le Monde)』を読んで、読解力や作文の作法も学んでいった。
映画もまた、娯楽であるとともに、会話の勉強には最適であった。銀幕を見ながら、「この状況ではこのようにフランス語で表現する」という事例を教えてもらっているようなものである。
ヒトラー研究との絡みで、映画の中で、今でも印象に残っているのが、ナチス統治下のフランスについての映画であった。占領下のフランスで対独抵抗(レジスタンス)に全力をあげた人々が英雄として讃えられ、占領軍のドイツに協力した者は「コラボ(collabo)」として指弾された。たとえば、ドイツ兵と仲良くなった女性は、頭を丸刈りにされ村中を引き回された。
第二次大戦後25年以上経った当時でも、レジスタンスを称賛し、コラボを侮蔑するトーンの映画ばかりであった。
秋にはグルノーブル大学からパリ大学へ移るのであるが、パリで1974年にルイ・マル監督が製作した「ルシアンの青春(Lacombe Lucien)という映画を観た。この映画は、反コラボ・親レジスタンスのトーンではなく、18歳の普通の青年がナチス統治に巻き込まれていく様子を淡々と描いたものである。
書庫から、44年前にパリで読んだ映画の台本を引っ張り出してみた。本のページの間に、黄ばんだ『ルモンド』の書評が挟み込まれていた。1974年2月17-18日付けの新聞で、私が赤鉛筆でチェックしながら読んだ形跡がある。本の表紙がルシアン青年で、何の悪気もなく手にナチスの旗を持っている。
ナチス占領下のフランス人の日常を淡々と描くのに、30年の年月を待たねばならなかったのである。もちろん、占領下のフランスでもドイツと同様に、反ユダヤ主義の嵐が吹きすさみ、多くの犠牲者が出た。それだけにコラボに対する厳しい視線は、戦後になっても長く続いたのである。
ナチス占領下で間接統治をしたのがヴィシー政権で、ペタン元帥が首相となった。2018年11月11日は第一次世界大戦終結から100周年の日であるが、マクロン大統領は第一次大戦中のペタン元帥の業績を記念式典で称えようとしたが、ヒトラーの手先となったことを許せないフランス人が多く、大統領はペタンへの言及を断念している。それだけナチスによる統治は深い傷をフランスに負わせたのである。