舛添要一のヒトラー入門(11):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・❻ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 グルノーブルはスタンダールの生まれた町である。アルプス山脈の麓に位置し、1968年には冬季オリンピックが開かれている。素晴らしい自然環境で、また文化の香りも高く、人口が約15万人と住みやすい都市である。

 食堂で知り合ったジャン-リュックや、その友人たちと町を散策し、カフェでお茶を飲んだりした。当時のフランスの主たる娯楽の一つは映画であり、よく映画館に行ったが、これも語学研修である。映画の後は、夜食に行ったが、イタリアンが多かった。

 ピザ、スパゲッティなど安くて、お腹いっぱい食べることができるからだが、ワインを飲みながら観てきたばかりの映画について議論するのである。映画の中で私が理解できなかったフランス語表現などを、丁寧に説明してくれる。彼らも大学院生で、私と同い年であるので、コミュニケーションも上手くいった。

 私は、「秘密のノート」と称するメモ帳をいつもポケットに入れて、彼らに教えてもらった表現などを書き留めていった。辞書に載っていない俗語の類いが列挙されており、リヨンに行ったときに、何となくそれらの表現を使ってしまい、カフェのウエイトレスに呆れられたこともあった。こうして、フランス語能力に磨きをかけていったのである。

 週末には、アルプスに登ったが、真夏なので軽装でよく、パンにハムとチーズを挟んだ「弁当」を持っていった。オーストリアではなくフランスであったが、サウンド・オブ・ミュージックの物語が展開されるアルプスに登り、その草むらの寝転びたいという願いは、早くも実現したのである。

 道中、農家に立ちより、自家製のフロマージュ・ブラン(フレッシュ・チーズ)を譲ってもらって食べたが、その絶品の味は忘れられない。今でも、私が好物のデザートである。

 高山植物が咲き乱れ、岩山や小さな湖が織りなす自然は絶景であった。その空気の「香り」は独特で、今でも目を閉じると薫ってくる。

 何年か後に、ミュンヘン郊外に住む友人のドイツ人「伯爵」の広大な屋敷に招かれたが、そこは独墺国境地帯であった。この伯爵の夫人がオーストリア人であり、オーストリアからアルプスを越えてスイスに逃げたトラップ一家のような気分になることができた。

 ミュンヘンで研究生活を送ったときのことは、後で詳しく書くが、伯爵の執事に「ヘヤ、プロフェッソール」と恭しく迎えられ、晩餐会を楽しんだが、それはトラップ大佐の邸宅のような感じであった。

 グルノーブルのピクニックに話を戻すと、この頃から、ピエールという友人のガールフレンドでイギリス人の学生も仲間に入っていた。彼女がモニかで、完璧なフランス語を話した。イギリスのエクスター出身の留学生で、後日、イギリスで彼女にと再会することになる。