20世紀文明論(42):スピードの世紀⑧・・空の征服❷ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 20世紀における人類による「空の征服」は、大気圏を越えて遙か先の宇宙にまで拡大していった。ロシアのツィオルコフスキーが、宇宙旅行の手段としてロケットを提唱し、アメリカのゴダードやドイツのオーベルト、フォン・ブラウンなどが研究を続けていった。

 1926年3月16日、アメリカのクラーク大学教授ロバート・ゴダードは、マサチューセッツ州オーバンの農場で液体燃料ロケットの発射に成功する。長さ3メートルの三段式のロケットは、飛行時間2.5秒、飛行距離56m、最高時速90㎞という記録を残したが、これが人類の宇宙への第一歩であった。

 第二次大戦中、フォン・ブラウンはV2ロケットを完成させた。戦争も末期に近づいた1944年6月12日、ドイツはジェット推進の飛行機爆弾V1をフランスのカレーからロンドンに向けて発射した。820㎏の爆薬を積み、1000メートルの高度を時速500~600㎏で飛行する新兵器で、ロンドンっ子を震え上がらせた。V1の発射総数8564発、民間人死者6184人であった。

 イギリス軍はレーダーを改善し、V1発射基地を爆撃して応戦し、9月6日にはV1の脅威を取り除いたと発表したが、その2日後の9月8日、長距離ロケットV2がロンドンとオランダのアントウェルペンに打ち込まれた。一段式で、全長14m、直径1.6m、重量13トン、最大秒速1.6㎞(時速5760㎞)の超音速で、航続距離300㎞であった。

 マッハ4以上の速度で飛ぶV2ロケットを飛行機で迎撃することは不可能である。7ヶ月の間に、1359発が発射され、ロンドンの死者は2742人であった。

 ドイツが第二次世界大戦中に開発したV2ロケットは、長距離ミサイルの原型となる優れた性能を持つものであった。その技術は、戦後米ソによって受け継がれ、さらに発展させられることになった。正確に言うと、ナチス時代のドイツの研究者の遺産を奪うことによって、米ソは宇宙開発に乗り出すことができたのである。

 別のブログ連載で、ヒトラーについて書いているが、アウトバーン(高速道路)のように、ナチスが人類に残した多くの発明がある。このロケットがその典型である。

 第一次大戦後、敗戦国のドイツにはベルサイユ条約で、領土割譲、賠償金支払いなどとともに再軍備禁止という厳しい措置がとられた。そこで、兵器の研究はできなかったが、ロケットなどの宇宙開発は制限されていなかったのである。ロケットが武器になるなどという発想がなかったと言ってもよい。ベルサイユ条約は、皮肉な「成果」をもたらしたのである。