舛添要一のヒトラー入門(10):§1.ヒトラーとの出会い②海外留学へ・・⑤ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 グルノーブル大学の留学生受付窓口に行く。学生証などを発行してもらった後、学生寮に案内された。個室で快適な環境であった。スーツケースを開き、衣類を洋服ダンスに片付けると、羽田を発ってからほとんど寝てなかったので、ベッドに転がり込んで熟睡してしまった。まだ午前中である。

 24時間、こんこんと眠り続け、目覚めたのは翌日のお昼頃。空腹である。そこで、前日に支給された食事チケットを持って学生食堂に行った。どのようにして昼食を選ぶのか、飲み物はどこかなど、全く見当が付かない。

 そこで、近くにいたフランス人の学生に、日本から着いたばかりだが、どうすればランチにありつけるかと尋ねてみた。何とか私のフランス語が通じたらしい。自分と一緒に食べようと親切に提案してくれた。それが私にとって大きな運命の出会いとなるが、その男子学生の名はジャン-リュック(Jean -Luc)である。今も無二の親友である。

 フルコースの料理で、前菜も、メインも、デザートも美味しい。また、ジャン-リュックとの会話も楽しかった。夏休みなので、学生の多くは実家に帰ったり、バカンスに出かけたりするが、彼のようにグルノーブルにとどまる者もいた。

 正規の学生は、夏休みの間は学生寮から追い出される。それは私たち語学研修に来る外国人留学生のために部屋を使うためである。

 ジャン-リュックは、明日は友達も連れてくるので、また一緒に食べようと言って別れた。こうして、すぐにフランス語会話の実習、フランスの生活様式の体験が始まることになった。

 ジャン-リュックを通じて数名のフランス人男女学生の輪に入れてもらうことになったが、彼らは夏休みであり、潤沢な時間がある。

 私は、語学研修を開始したが、そのテキストは東京の日仏学院で使ったものと同じであった。またクラスは外国人学生ばかりで、とくにスペイン人やイタリア人はフランス語と同じラテン語系言語を喋るので、訛りのあるフランス語になってしまう。

 ともかくも、前に使ったテキストなので、何度テストしても、私がクラスのトップになる。新しいことも学ばないし、外国訛りのフランス語環境では何のために語学研修をやっているのか分からない。そこで、クラスに出るのは必要最低限にとどめ、フランス人学生たちと遊び歩くことを中心にする生活に組み替えた。

 彼らは私のフランス語発音を正してくれるし、辞書に載っていない流行語なども教えてくれる。まずは、グルノーブルの町に繰り出す。