20世紀文明論(38):スピードの世紀④・・鉄道の歴史④ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 昨日のブログで新幹線の歴史を書き、その革命的な意義を強調したが、皮肉なことに、その数時間後に姫路駅で人身事故が発生し、全線ストップという深刻な事態となった。金曜日の夜であり、3時間も動かなかったため、多くの人が影響を受けた。

 高速交通の大動脈だけに、危機管理には万全を期さなければならない。これまでは無事故を誇っていた新幹線であるが、これからは、今回のような事故も含めて様々な事態を想定したシナリオが必要である。

 このように不断の見直しは必要であるが、新幹線が鉄道の歴史に画期的な一歩を記したことは誇ってよい。

 当時の世界の鉄道の常識では、フランス国営鉄道(SNCF)の特急「ル・ミストラル」の最高速度、時速160㎞が技術的にスピードの限界と考えられていた。その常識を時速210㎞のわが新幹線が覆したのである。もし、東海道新幹線が出現していなかったら、世界の鉄道は最高時速160㎞のまま低迷していたであろう。

 升田嘉夫氏によれば、新幹線は三つの逆説的状況から誕生したという(『鉄路のデザイン、ゲージの中の鉄道史』、批評社、1997年)。

 第一は、日本が狭軌鉄道国だったからこそ、最新鋭の技術を駆使して標準軌道鉄道を生み出すことができたのである。

 第二は、世界の交通が鉄道と船舶から自動車と航空機の時代に移行し、鉄道の斜陽化が言われるようになったときに、全く新しい鉄道が誕生したことである。

 第三は、昭和の象徴である新幹線が「明治の鉄道人」十河信二の手によって生み出されたことである。

 そのような三つのパラドックスの中から東海道新幹線が実現したのであるが、斜陽の鉄道を生き返らせ、日本では今や世界に冠たる大量輸送手段として大きな役割を果たしている。