20世紀文明論(36):スピードの世紀②・・鉄道の歴史② | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 鉄道の開通で、生活時間の単位が、小半刻(約30分)から1分へと30分の1に縮小されたため、人々は大いに戸惑ったという。当時の駅の時刻表には従来の単位である刻と間違わないように、「時」の代わりに「字」の文字が使われている。

 「停車場前なる老爺の甚だしく厭がりて、ええ、あの汽車さえなければ、この時計もいらぬのだ」(斉藤緑雨『ひかえ帳』)という雰囲気だった。もちろん、この時計とは、西洋時計のことである。そして、『西洋時計早見』という時計の見方についての解説書も出版されたそうである(交建設計・駅研グループ『駅のはなし—明治から平成へ』、1997年)。

 このように鉄道の開通は、スピードと大量輸送の時代をもたらしたのみならず、生活時間の概念にも大きな変革を迫ったのである。

 1874(明治7)年には、京浜地区に続いて、大阪―神戸間の鉄道が営業を開始した。6時55分に神戸駅を出発して、三ノ宮(7時)、西ノ宮(7時35分)、大阪(8時5分)到着と、1時間10分かかっている。

1876(明治9)年には大阪―向日町間が開業し、翌年には神戸―京都間が全通している。所要時間は、神戸―大阪間が1時間8分、大阪―京都間が1時間43分である。

明治の開業時には53分間かかっていた新橋から横浜までを、今日、東海道本線の各駅停車の列車行くと25分前後である。山陽本線の各駅停車で、神戸から大阪までは37~38分である。

 つまり、在来線の各駅停車の列車の速度は、20世紀、つまり1世紀後には約2倍になった。江戸時代には徒歩での一日の行程だったものが、明治時代には列車での1時間の移動となったのである。速度は10倍になっている。

 そして、明治から平成に移る間に各駅停車のスピードは倍増した。列車を牽引するのは、蒸気機関車からディーゼル機関車、そして電車へと変化してきた。

 しかしながら、20世紀になると、鉄道は他の交通機関からの挑戦を受ける羽目になった。自動車と飛行機である。19世紀に鉄道の発達が馬車を葬り去ったように、20世紀、とりわけ第二次大戦後には、自動車と飛行機の大衆化が鉄道を駆逐するかのようであった。

 アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、いずれの国もそうである。この鉄道の斜陽化に終止符を打つ発明をしたのが、わが日本である。