舛添要一のヒトラー入門(2):§1.ヒトラーとの出会い②駒場時代・・❶ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 福岡県北九州市の八幡高校を卒業して、1967年春に東大の文科1類に入学し、法学部を目指すことになった。「サウンド・オブ・ミュージック」の印象が頭の片隅にあり、ヨーロッパとは何かというテーマに関する本をよく読むようになった。

 当時は学生運動の全盛期で、私は三鷹寮にいたが、学生運動の闘士の先輩たちに言われて、駒場の教養学部時代には、マルクス・エンゲルス、カント、ヘーゲル、フォイエルバッハなどを岩波文庫で読んだものである。ソクラテス、プラトン、アリストテレスに代表されるギリシア哲学から始まって、当時流行していたサルトル、メルローポンティまで読み漁った。

 フランス現代哲学に興味を持ったのは、1968年にパリで「5月革命」と称される学生の反乱が起こったからであり、東大、日大など日本の大学でも学園紛争の嵐が吹きすさんだ。アメリカでも、ベトナム戦争反対を叫ぶ学生たちが同様な運動を繰り広げた。

 先進諸国で展開されたこのような1968年の学生運動は、学費値上げ反対、学生寮の設備充実といったような物質的要求に基づくものではなく、政策決定過程への参加を求めるといった非物質的要求を掲げるものであった。これを、ロナルド・イングルハートは『静かなる革命(The Silent Revolution)』(1977年)と呼んだ。

 駒場では、佐藤誠三郎先生の政治学のゼミに参加したが、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンなどの全体主義に関する本をよく読んだ。シグマンド・ノイマン『大衆国家と独裁――恒久の革命』(1942年、邦訳1960年)やエリック・ホッファー『大衆運動』(1951年、邦訳1961年)、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』(1941年、邦訳1951年)などで、ヒトラー独裁や全体主義についての理解を深めていった。

 教養学部では、ヨーロッパについて勉強するための道具として、外国語の修得に励むことにした。英語は必修(第一外国語)で、選択必修の第二外国語にフランス語、そして希望者のみが選択できる第三外国語にドイツ語を選らんだ。また、ロシア語についてはソ連人の私塾で、スペイン語については南米からの留学生を家庭教師にして学んだ。

 たいへん苦労したが、外国語の習得は、その後の人生のために強力な武器を手に入れることを意味する。

 

 

 

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