20世紀文明論(33):生活革命④使い捨て文化・・⑥ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 江戸時代に幕府や藩がとった森林伐採を禁止する措置は、有限な資源を大切にし、リサイクルする、そして皆がその資源を分け合うという思想があってこそ可能なのであった。

 今の日本で森林保全に携わって痛感するのは、日本人が貴重な森林資源を浪費していること、また下流域の住民が水源地である森林の恩恵を忘れていることである。水源税の発想が出てくるのは、この江戸時代の良き伝統を思い出させるためでもある。

 20世紀文明は科学技術の進歩の上に成り立っているが、その進歩は時間と空間の制約から人類を解放する画期的なものであった。たとえば、新幹線や飛行機は人々がより速く、より遠くまで移動することを可能にした。また、情報通信技術の発展によって、情報をリアルタイムで世界中に伝達することができるようになった。

 しかし、自然にどう対応するか、有限な地球資源をどう活用するかという点については、人類は祖先が持っていた知恵を失ってしまったのではあるまいか。20世紀、とりわけ第二次大戦後の日本人は、その点で多くの過ちを犯してきたようである。

 日本の文化は、自然との調和、自然との共存を考える文化であった。しかし、大量生産文明は、その日本文化の基礎を打ち崩していった。植えた木が育つまで待ち、その木の特性を活かして無駄なく使えば、太陽エネルギーのみで森林資源はいつまでも枯渇せずに使える。

 それは、掘り尽くせばなくなる石油や石炭とは異なる。ところが、20世紀の石油文明は、プラスチックに代表されるような土に還らない素材で画一的な製品を大量に生みだしてきた。

 21世紀の今日、プラスチック製品をどう処理するかが国際的な問題となっている。プラスチック製ストローの使用禁止が世界で広まっている。日本でも、環境省がスーパーなどのプラスチック製レジ袋の有料化を義務付ける方針だという。これには賛否両論があるが、20世紀の使い捨て文化の見直しにつながる動きの一つであろう。