20世紀文明論(34):生活革命④使い捨て文化・・⑦ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 大量生産・大量消費・大量廃棄という20世紀文明に対して、ある職人が痛烈な批判を展開している。

斑鳩の宮大工、故西岡常一氏は、著書『木のいのち木のこころ(天)』(1993年)の中で、プラスチック文明について、次のように述べている。

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 世の中全体がせちがらくなってきました。人を育てるのも大量生産で、何しろ早くですわ。それとそんなに丁寧にものを造ってもらわんでいい、適当な大量生産の安いものでいいというんですからな。(中略)

 今は石油を材料にしてどんなに扱っても壊れん、隣の人と同じもの、画一的なものを作れというんですからな。いつまでも壊れん、どないしてもいいというたら作法も心構えも何にもいらなくなりますわな。茶碗は人が丁寧に作ったもんでした。下手に扱えば壊れますな。二つと同じものがないんやから、気に入ったら大事にしますな。扱いも丁寧になります。(中略)

 均一の世界、壊れない世界、どないしてもいい世界からは文化は生まれませんし、育ちませんわな。

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 石川英輔氏もまた、江戸時代の先人たちが森林資源のリサイクルを考えて伐採し、資源を有効に使っていたことを立証している。

 当時の農民たちは、「薪として売るにせよ、焼いて木炭として出荷するにせよ、少しでも高く売れる良質の燃料を作るため、じっくりと腰を据えて、立木密度や伐採の時期などを工夫し、長年の間に持続可能な管理の方法を確立した」という(『大江戸リサイクル事情』)。

 江戸時代には、鎖国を続けながらも、3000万人の日本人が、当時としては世界で最も高福祉で公衆衛生の行き届いた生活を送っていたのである。それが可能だったのは、ハンレー女史が言うように、「資源を有効に利用し、人々に質素ではあるが健康的なライフ・スタイルをもたらし、簡素さのなかに豊かな喜びを見出す文化を造りだした社会があった」からである。

 しかしながら、今日の私たちは、科学技術の進歩の恩恵がなければ成り立たない生活を送っている。たとえば、およそ電気のない生活は考えられないであろう。

 去る9月に北海道胆振地方を襲った地震で、道内のほぼ全域が停電(ブラックアウト)してしまい、生活が麻痺してしまった。電気の有り難さを痛感したものである。

 電気のない江戸時代の話がすべて現代に通用するわけではないが、江戸の知恵や生活様式に学ぶべきものが多々ある。21世紀の私たちには、江戸文化と20世紀文明とを架橋する努力が必要である。