20世紀文明論(16):生活革命③少子化・・・❹ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 20世紀末のみならず、最近も少年犯罪は頻発しているが、その背景には家族の絆や地域共同体の消滅もあるのではなかろうか。それは人間関係の希薄化を招き、自己愛型の人格障害を生み出していると考えられる。

 少年犯罪事件が起こると、世間は「普通の子がなぜ」という反応を示すが、実は子どものほうでは何らかの信号を事前に発していることが多い。猫を殺すという残忍なサディズムを見せたり、体調が悪いと言って頻繁に保健室に行っていたりするようなことである。

 大人の側で、そのような危険信号や救いを求める声に注意を払わなくなったことが問題なのである。

戦後の日本は、急速に地域共同体を失っていった。長屋に代表される江戸の連帯とは大違いである。また、少子化で子どもの数が少なくなったため、子どもを溺愛する家庭では、親が行うべき基本的な教えや躾が実行されていない。そして偏差値重視の受験教育体系は、受験勉強第一主義を蔓延させている。

 ナイフでの事件が起これば、ナイフの所持を禁止するといった短絡的な発想では問題は解決しない。私は、山を守るボランティア活動に従事してきたが、新人の若者に鎌や鋸など下刈りや枝打ちに使う道具、またナイフの使い方を指導する。これまでの活動で、ナイフで怪我をした者はいない。

 ナイフの基本的な使い方のみならず、刃物を他人に渡すときには刃のほうを自分が持ち、柄のほうを相手に向けるという基本的なマナーも教える。台所の包丁などの取り扱い方やマナーについて、きちんと家庭で教えなくなっている。

 20世紀を「世帯規模縮小の世紀」と呼んだが、かつて世帯人員が多いときには、親が不甲斐なくても、祖父母や兄姉が必要な役割を果たしていた。ところが、今日では核家族、それも一人っ子が多くなったので、家族が本来持っていたそのような教育機能は大幅に低下してしまった。これれも、少年犯罪の抑止力低下につながっている。

 祖父母の役割はもっと評価されるべきである。年をとれば、体力が落ちてくるので、動作も緩慢になってくる。子どもが祖父母と同居することの意味は、弱者に対する配慮を身につけることにある。

 たとえば、子どもたちは、親と一緒に歩く速度では祖父母には速すぎることを日常生活の中で身につけ、弱者への思いやりのある人間に成長していく。また、子どもは祖父母に可愛がられることで、非行に走らなくなる。祖父母には非行防止機能があるのである。