20世紀文明論(6):生活革命①「異常な世紀」・・❻ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 以上、11項目にわたって、1901年1月の『報知新聞』の「20世紀の予言」という記事から興味深い予言を引用したが、その先見力はまさに称賛に値する。それにしても、20世紀の百年の間に、科学技術が大いに進歩し、私たちの生活を根底から変えてしまったのである。

「20世紀の予言」を書いた記者も、最後に「以上の如くに算へ来らば到底俄(にわか)に尽し難きを以て先づ我預言も之に止め余は読者の想像に任す兎に角20世紀は奇異(わんだー)の時代なるべし」と結んでいる。

 この記者は、20世紀を「奇異(wonder)の時代」と特色づけているが、それは正鵠を射たものである。私は、さらに誇張して、20世紀を「異常な世紀」と呼ぶ。

 20世紀を「生活革命の世紀」と位置づけたのは、庶民生活のレベルで革命的な変化が起こったからである。しかも、私たちはその変化を苦もなく受容したのである。

 数世紀後の人類が20世紀の歴史を繙くとき、この異常かつ急速な変化の時代を生き抜いた20世紀の人間たちの精神構造を理解することはできないかもしれない。

 21世紀になっても科学技術の進歩は止まるところを知らないが、車、鉄道、電気など、いずれも20世紀文明の延長線上にある。写真もそうである。デジカメが一般に広く普及したのは21世紀になってからであるが、フィルムがメモリーカードに変化し、またスマホでも写真を撮影するようになっていったのである。

 科学技術のブレークスルーが今後とも続くと思われるが、21世紀が20世紀以上に「異常な世紀」となるかどうかは、まだ分からない。