国際政治学講義(59):(5)世界システム論①理論的構造・・・❹ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 ポルトガル人の時代の後に到来するのは、オランダ人の時代である。表5−1で示した長期サイクルの第二期、つまり17世紀にはオランダが世界の覇権国となる。ポルトガルと同様に、オランダもまた東洋貿易に乗り出すが、その活動は日本にまで及んだ。

 1600年(慶長5年)には、オランダの商船リーフデ号が豊後に漂着し、その航海士であったヤン・ヨーステンやウイリアム・アダムスは徳川家康の外交や貿易のアドバイザーとなった。

 当時の日本には、南蛮人と並んで、紅毛人と呼ばれたイギリス人やオランダ人が来航し、貿易を行っていたが、競争に勝ったのはオランダ人であった。徳川幕府が鎖国へと方針を転換した後も、中国とともに対日貿易を許されたのはオランダであった。

 江戸時代の洋学と言えば、まず蘭学であり、今日私たちが英語を学んでいるように、当時は海外についての情報を得るために、エリート層はオランダ語を勉強したのである。これらは、いずれも当時世界のヘゲモニーを握っていたのがオランダであることを確認させるエピソードである。

 しかし、そのオランダの覇権も、17世紀後半になると、イギリスやフランスの挑戦に晒されることになる。特に、ルイ14世治下のフランスは、コルベールの重商主義によって増大した国力を背景にして近隣諸国に攻勢を掛けた。南ネーデルランド継承戦争(1667~1668年)、オランダ侵略戦争(1672~1678年)、ファルツ継承戦争(1688~1698年)などの戦争である。

 そして、ルイ14世は、1700年には自分の孫であるフィリップにスペイン王位を継承させる(フィリップはフェリペ5世としてスペイン王となる)。これに対して、フランスの勢力増大を恐れるイギリス、オーストリア、オランダなどが反対し、宣戦する。

 これがスペイン継承戦争(1701~1713年)であるが、この過程を通じてイギリスが時期の覇権国としての地位を確立していくのである。ファルツ継承戦争とスペイン継承戦争を合算すれば、やはり「30年戦争」である。