国際政治学講義(58):(5)世界システム論①理論的構造・・・❸ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 表5−1に戻り、近世以降の世界システムが具体的にどのように変化して言ったかを見てみたい。まずは、ほぼ100年周期で覇権国が交代していることが分かる。ポルトガル→オランダ→イギリス→イギリス→アメリカである。

 また、挑戦国も、スペイン→フランス→フランス→ドイツと変化している。そして、いずれの場合も覇権の交代が約30年間続く戦争によってもたらされている。第一次世界大戦と第二次世界大戦をまとめて計算すれば、1914年に始まり1945年に終わっているから、これまた「30年戦争」と考えてよい。

 次に、近世以降の世界史の流れを時代毎に詳しくふり返ってみよう。

 16世紀には、ポルトガルが世界の覇権国として大航海時代を演出し、「地理上の発見」をもたらした。そして、このポルトガルのヘゲモニーに対抗し、それに挑戦したのがスペインである。1580年には、ポルトガルはスペインに吸収される。

 しかし、熱心なカトリック教徒であったスペインのフェリペ2世が自国領内の新教徒を弾圧したため、当時スペイン領であったオランダが1568年に独立戦争を起こし、遂に1581年には独立を宣言する。

 エリザベス1世治下のイギリスがオランダを援助し、1588年にはイギリス海軍がスペインの無敵艦隊に勝利する。こうして、1609年にはオランダとスペインの間で休戦が成立し、それ以降、覇権国の地位がオランダに取って代わられる。

 因みに、このようなヨーロッパの動向は、当時の日本にも影響を及ぼしている。1543年(天文12年)に種子島に漂着し、我が国に初めて鉄砲を伝えたのは、ポルトガル人である。まさに当時のポルトガルは、覇権国として世界を股に掛けて活躍していたのである。

 火縄銃を日本に伝えたポルトガル人を乗せた船は、明の寧波に向かう途中に難破したのであるが、ポルトガル人はインドのゴアや中国のマカオを拠点として東方との貿易を行っていた。

 さらに、この事件の6年後の1549年(天文18年)には、イエズス会の聖フランシスコ・ザヴィエルが鹿児島に来航し、キリスト教を布教したが、彼の母国はスペインである。スペイン人は、1584年に平戸に到来し、ポルトガル人とともに日本との貿易に従事したが、まさにこの時代には、日本人が南蛮人と呼んだポルトガル人やスペイン人が世界をリードしていたのである。