国際政治学講義㊳:(4)20世紀の意味 ②社会主義の世紀・・㉒                  | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 第二次大戦後のヨーロッパでは、資本主義の弱肉強食の現実に対して、社会民主党が貧富の格差是正などを掲げて政権に就いた。経済は、資本主義に政府の介入を加えた「混合経済」体制に、政治は、税制を活用した所得の平準化などを図っていった。

 日本は、高度経済成長で豊かな中産階級が生まれ、貧富の差の少ない平等社会を実現した。それは、中央官僚が指導する計画的な経済運営と多くの規制、さらには累進所得税や相続税といった税制を活用して実現したものであった。日本は「世界で最も成功した社会主義の国」と揶揄されるくらいの平等社会であった。

 社会主義体制では、「赤い貴族」と呼ばれるノーメンクラツーラ、特権階級が人民を支配したが、それと対極だったのが日本である。百万長者も、3代すれば一文無しになると言われるくらいに、相続税の負担が重かった。

 1980年代になると、アメリカではレーガン大統領、イギリスではサッチャー首相、日本では中曽根首相が、福祉社会の行き過ぎを是正する「小さな政府」、規制緩和路線を推し進めた。

 集団護送船団方式と呼ばれる政府に守られた企業体制は、厳しい国際経済競争に耐えられなくなり、金融機関の相次ぐ倒産などになって現れた。金融危機は、高度経済成長以来の日本的経営が立ちゆかなくなったことを意味し、日本は大きな変革を迫られた。

 こうして、自由主義的経済運営、ケインズよりもハイエクを重視する経済が主流となり、金融緩和路線のアベノミクスにつながっていく。しかし、その間、格差は拡大し、かつての社会主義的平等社会は雲散霧消してしまった。

 しかも、そのような流れに対抗すべき社会民主主義勢力は世界的に退潮し、それに代わって、移民排斥を謳うようなポピュリズム、大衆迎合勢力が権力につくような状況になっている。

 フランスで初めて社会主義思想が生まれたとき、「教育と健康に貧富の差があってはならない」というのがその根幹であり、基本原則であった。これは今でもそうであり、人類進歩の重要な一里塚であることに変わりはない。

 20世紀が社会主義を葬り去ったとしても、この大原則は人類が堅持していくべきである。