国際政治学講義㉓:(4)20世紀の意味 ②社会主義の世紀・・❼ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 1971年のニクソンの二つのイニシアティブは、外交や貿易に深く関わる者にとっては大きな衝撃であったが、普通の市民の生活を左右するような類いの危機ではなかった。ところが、2年後には、庶民の生活に大打撃を与える事件が起こる。石油ショックである。

 1973年10月6日、エジプト軍とシリア軍がイスラエルを攻撃し、第四次中東戦争が勃発した。戦局は、アメリカの支援を受けたイスラエルに有利に展開した。16日には、アラブ側が停戦を申し入れるが、イスラエルは拒否する。

 そこで、アラブ側は、対抗措置として、西側諸国に対して石油戦略を発動する。17日、石油輸出国機構(OPEC)は、原油価格を21%引き上げた。こうして、世界中が石油ショックの嵐に襲われたのである。

 資源を海外に依存する日本にとって、石油ショックの影響は極めて大きく、インフレが昂進し、庶民の生活を直撃した。スーパーマーケットでは、トイレットペーパーや洗剤の買い占め騒ぎが起こり、主婦が長蛇の列を作る事態となった。

 私は、当時パリ大学大学院で研究生活を送っていたが、フランスよりも日本の混乱は遙かに大きく、日本から届くニュースに驚いたものである。

 日本政府は、石油や電力消費の1割削減、日曜ドライブの禁止、高速道路での速度制限、ガソリンスタンドの日曜営業禁止などの措置をとった。外交についても、アラブ寄りに軌道修正した。12月10日には、三木副総理がアラブ8カ国歴訪の旅に出た。「アブラ(油)欲しさのアラブ寄り」と揶揄されたものである。

 資源に乏しい日本が、資源外交を始動させざるをえなくなる。中東諸国に対して、アメリカ追随ではなく、独自の外交を模索することになったのである。   

 今年の5月、トランプ大統領は、2015年のイランとの核合意から離脱したが、日本は欧州諸国とともに、核合意維持を決めている。このような姿勢は、1973年の石油危機以降に育まれたものである。

 そのことも含めて、1973年の第一次石油ショックは、日本の近代史上、重要な意味を持っている。日本を変えるのは外圧だと言われる。ペリーの黒船が徳川幕藩体制を終わらせ、明治維新につながった。1945年、マッカーサーのGHQが戦後の民主化を進めた。

 石油危機もまた、ある種の外圧であり、資源小国として官民あげて対応せざるをえなかった。たとえば、省エネ技術の開発であり、その努力が様々な技術革新を生み、それがその後の日本の経済発展に貢献したのである。