国際政治学講義㉒:(4)20世紀の意味 ②社会主義の世紀・・❻ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 1960年代の日本は、アメリカに安全保障を依存し、ぬるま湯の中で高度経済成長に浮かれていたが、1970年代に入ってから大きな試練に直面する。1971年、アメリカのニクソン大統領は、世界に二つの衝撃をもたらす。

 第一は、米中の国交樹立である。1971年7月9日に、ニクソンの密使、キッシンジャー補佐官は極秘に北京を訪れ、米中国交樹立への動きが始まった。7月15日には、ニクソンがテレビで、自ら北京を訪問する予定であることを明らかにし、世界に大きな衝撃を与えたのである。

 因みに、トランプ大統領は、6月12日にシンガポールで開催する予定であった米朝首脳会談を突然中止したが、この会談を設定したのは、極秘に平壌を訪問したポンペオCIA長官であり、この先駈けがキッシンジャーの密使外交である。

 1972年2月には、ニクソンが訪中し、米中共同コミュニケを発表し、敵対関係に終止符を打った。その後、1979年にカーター大統領と鄧小平との間で正式に国交が樹立されるが、このニクソン訪中は、日本の頭越しに行われ、当時の佐藤栄作内閣の威信は揺らぎ、日本中が大きなショックを受けた。

 今回の米朝首脳会談の決定も日本抜きで行われ、拉致問題を抱える日本が蚊帳の外に置かれることに不安が広まったが、米中接近というニクソン・ショックが日本人に与えた衝撃はその比ではなかった。日本は、アメリカに従って、中華民国(台湾)と外交関係を持ち、共産圏の中国とは敵対していたからである。

 一月後の8月15日、世界は第二のニクソン・ショックに襲われる。通貨である。アメリカは、ドル防衛策の一環として、金とドルの交換を一時停止した。アメリカの金保有量が減り、ドルとの交換に応じられなくなったからである。

 それまで、金1オンス=35ドルに固定されていた制度が変わることになり、2年後には世界の通貨制度は固定相場制から変動相場制に移行する。戦後創設されたブレトン・ウッズ体制の終焉である。日本は、1ドル=360円という温室から寒い外界へと投げ出されることになった。これまた、日本にとって大きな試練であった。