政治学講義㉞:(4)政治家と官僚④厚労大臣時代・・・Ⅷ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 今の日本で、誰が最強の権力を握っているか。首相か、国会か、官僚か、法制度上はともかく、一番の権力はマスメディアにある。政治家や高級官僚の生殺与奪の権力は彼らにある。週刊誌報道がきっかけで、最近では新潟県知事や財務次官が辞任した。

 週刊誌がスキャンダルを報じる。それをテレビなどのワイドショーがフォローして拡散する。ターゲットにされると、集中攻撃、バッシングに遭い、反論など許されない雰囲気となる。

 法律違反ではなくても、「法の支配」ではなく、メディアによって形成される世論、空気には誰も抗うことができない。これが大衆社会である。現代の政治や行政は、マスメディア抜きには成立しない。とりわけ、テレビの影響は大きい。昨今の森友・加計問題をはじめとして、安倍政権バッシングとも言える不祥事の噴出を見ていると、その思いは強くなる。

 私が厚労大臣のときも、マスコミ対応で日々、苦労の連続であった。厚生労働省が管轄する分野は、国民の生活に直結しているために、メディアの関心を呼びやすい。

 私は、全国紙全紙に毎日目を通し、スクラップブックを作った。厚生労働大臣時代の新聞切り抜きを見ると、たとえば、新型インフルエンザ、薬害C型肝炎訴訟、中国産冷凍餃子事件、年越し派遣村、年金記録問題などについては、2週間分で100ページのスクラップブックが一杯になるほどの報道量であった。

 テレビでも、自ら番組に出演する必要は全くなく、毎日、何らかの問題でテレビ画面に私の顔が出る。それだけの露出に耐えるだけでも、相当のストレスであった。

 マスメディアに攻撃されれば、政策も実行が難しくなるし、逆に支援されれば、政策遂行は容易になる。しかし、問題はマスメディアが中立公正ではなく、偏向していることである。

 第二次大戦後、わずかの時期を除いて政権交代がなく、自民党政権が長く続いたため、マスメディアは反政府、反権力志向が一般的になっていった。政府の行おうとすること、厚生労働大臣が改革しようとすることを理解する努力はせずに、とにかく批判することのみを考える。

 年金記録問題の解決など、誰が大臣をやろうが、問題の本質が変わらない以上、たとえば存在しない記録は存在しないのであって、大臣が舛添から長妻に替わろうが、奇跡が起こるようなことはない。

 ところが、マスメディアは、「公約違反」だの、「大臣辞職を」など、言いたい放題であった。未だ誰も経験したことのない新型インフルエンザへの対応など、試行錯誤の連続であり、危機管理の常識として二重三重に安全弁を用意しなければならないのは当然である。しかし、マスメディアは、そのような対応さえ茶化して揶揄した。

 そこには、扇情主義やポピュリズムはあっても、国家や国民に対する責任意識は希薄である。販売部数や視聴率を重視する無責任な商業主義に毒されていないだろうか。私が厚労相だったときよりも、今のほうが、もっと酷くなっているのではなかろうか。