政治学講義⑪:(3)統治と選択①マンデスフランスの言葉 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 統治するとは選択することである(Gouverner,  c’est  choisir)」と言ったのは、第二次大戦後のフランス第四共和政の首相、ピエール・マンデスフランス(Piere Manès-France, 1907~1982年)である。優れた政治家であった彼は、戦後の植民地独立問題について、インドシナ戦争は終結に導いたが、アルジェリア戦争の対応では成功せず、総辞職する羽目になった。

 第四共和政(1946~1958年)において、小党分立に悩まされながらも、政治の技術を駆使したマンデスフランスは、政治は常に選択することを迫られることをよく認識していた。

 政治が、「希少資源の権威的配分」を平和裏に行う技術であり、社会の諸利害間の調停をする仕事であれば、選択することは不可欠である。外交でも内政でも、指導者は常に選択をせねばならない。

 第二次大戦後、世界は米ソ両陣営が対立する中、西側戦勝国のみと講和する片面講和か両陣営と平和条約を結ぶ全面講和かで日本の世論は割れた。しかし、早期講和・早期独立を実現させるのならば、片面講和を選択することになる。1950年、吉田茂首相はその道を選んだ。

 そして、本格的な再軍備ではなく、軽武装でアメリカに防衛を依存する日米安全保障体制を選択した。当時は、進歩的文化人をはじめ、多くのマスコミは全面講和論に傾き、吉田首相は厳しい批判にさらされた。しかし、今から振り返ると、吉田が選択した片面講和・日米安保・軽武装・経済重視という路線は、その後の日本に平和と繁栄をもたらすことになった。

 政治指導者の選択がいかに大事であるかを示す戦後の進路決定である。ポピュリズムが跋扈し、マスコミも劇場型政治を推進する今日、世論に抗して特定の政策を選択することがますます難しくなっている。世論に阿る大衆迎合政治は全体主義への扉を開くことにつながる危険性がある。

 内政においても、リーダーは常に選択せねばならない。しかし、たとえば増税という選択肢は、とくに選挙のときには極力避けることになる。国家の歳入を増やす必要があっても、増税ではなく、国債の発行を選ぶことになる。

 また、歳出についても、たとえば社会保障費の削減は不人気であり、政治家はばらまき政策を採用しがちである。

 国民に好まれない政策を選択するには、自分の首をかける覚悟すら求められる。消費税を導入した竹下登首相がその好例である。