政治学講義⑦:(2)政治の成功と失敗①善政と悪政 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 政治という「平和な支配」が「暴力による支配」よりも望ましいのは、戦争や動乱や革命で多数の死傷者やインフラの破壊が生じる状況を考えればよく理解できる。要は、コストの問題だ。

 流血の惨事、建造物の破壊は多大の犠牲を払うが、そのような事態を回避しながら「希少資源の権威的配分」ができれば、まさに政治が存在することになる。政治があるところには、自由がある。さらに言えば、流血や破壊は、メディアによって世界中に報じられるように、派手で目立つ。政治は、目立ってはならない。

 「鼓腹撃壌」という言葉がある。中国の古典『十八史略』が出典だが、古代の名帝、尭が自分の治政の実態を観察するためにお忍びで領内を視察すると、ある老人が腹鼓を打ち、地面をたたいて拍子をとりながら歌っているのに出くわした。それは、「日が出れば仕事をし、日が沈めば休息する、井戸を掘って水を飲み、田を耕して実った作物を食べる、帝の力がどうして我々に関係あろうか」という歌だった。

 これは、尭帝を批判しているのではなく、為政者のことなど考える必要もなく、日々安楽な生活を送っているという意味だ。つまり、老人は太平の世を謳歌しており、善政が行われていることを示したものである。

 ここでは、政治が目立たない。クリックが政治を「平和の支配」と位置づけたのは、尭帝のような目立たない治政こそ「善政」であり、政治の成功だと考えたからである。市井の人が、政治のことを気にせずに、自らの生業(なりわい)に精を出せるような世の中を作り出すことこそが、理想の政治なのである。

 逆に、戦争や革命のときは、その展開次第では、生命維持という最低限の欲求すら満たされなくなる危険性があり、指導者の一挙手一投足に注目が集まってしまう。「ふつうは無関心な人がにわかに政治問題におおきな興味をいだくのは、しばしば、危機の兆候である」とクリックは言う。

 ふつうの人が、自分の仕事を放り出して、連日政治デモにでかければ、自分の稼ぎも、そして国全体のGDPも減少する。自分のビジネスよりも、いや自分のビジネスのためにも、政治の行方に関心を持たざるをえなくなるような状態は、政治の失敗であり、善政とは対極の悪政である。過剰な政治的関心は、有害無益なのである。

 このような政治の「成功と失敗」、「善政と悪政」という区分けは、一般的な言葉の使い方とは異なる。たとえば、「不景気」、「貧富の格差の拡大」、「社会福祉の後退」、「ばらまき行政」、「増税」などという表現で、野党が政府を攻撃するとき、政府の治政を「悪政」だと非難しているのである。そして、自分たちが政権をとれば、「善政」に変えてみせると見栄を張る。

 ここにおける「善政と悪政」は、主として政策レベルの話であり、政治とは何かという、我々の議論とは異なることに注意を喚起しておきたい。

 マスコミが発達した今日、政治家はメディアの注目を集めようとパフォーマンスに心を砕くが、それは集票に役立つからであって、そのような意味での「目立つ」ことは、政治とは何かというここでの議論とはほとんど関係がない。

 

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