政治学講義⑤:(1)政治とは何か④平和な支配・・Ⅰ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 権謀術数を駆使し、「野蛮な衝動」を排して、冷徹な「文明の打算」を実行したジョゼフ・フーシェの政治手法は、暴力とは対極の「平和な支配」である。

 西欧政治哲学の歴史において、そのような「平和の支配」を初めて唱えたのが、アリストテレスである。彼は、政治家による支配は、自分と同等な自由人に対する支配であり、武力によるものではないことを強調する。現代民主主義の下では、同等な人々が選挙という方法で支配する者を選んでいる。

「万人の万人に対する闘争状態」から脱するために、自己保存の自然権を放棄し、社会契約によって「共通権力」を確立し、代表を選べと提案するホッブスもまた、実は「平和な支配」を追求した思想家であったということができよう。

 現代政治学において、強制や暴力に対抗するものとして政治を定義づけたのが、バーナード・クリックである。『政治の弁証』というタイトルで邦訳されている彼の主著の原題は、“In Defence of Politics”、つまり「政治の弁護」である。

 クリックによれば、諸利益が対立するときに、強制ではなく調停によって妥協に到達することが政治である。その考え方は、たとえば「暴力よりは政治を好む」というような表現になる。政治による支配こそが自由を保障するものだからである。

 その政治に挑戦してくる厄介で危険なものが、①全体主義イデオロギー、②専制政治や無政府状態と紙一重の「民主主義」、③寛容を忘れたナショナリズム、④科学万能を標榜する教義としてのテクノロジー(工学主義)などであり、これらは「政治的」ではない。

 ①については、ナチズムやファシズム、そしてスターリニズムのもたらした惨禍を思えばすぐに分かる。②については、劇場型政治、ポピュリズムとも関連する。人民裁判、魔女狩りに走りがちな大衆民主主義の危険性は今も続く。③は、欧米における移民排斥運動が典型的である。④はオーウェルの『1984』に描かれたような科学の力で人間を改造するような発想である。これからのAI時代はどうなるのであろうか。

 政治を危うくさせる以上のような要素は、アメリカのトランプ現象、ヨーロッパの排外主義的極右の台頭の中にも見られる。クリックを引用すれば、「政治は、不当な暴力をもちいずに、分化した社会を支配する方法」であり、「正常な人々の間では、調停がすくなくとも強制より好まれる」のである。

 したがって、「政治はおおくの賞賛に値する」し、「政治はたんに必要悪でないばかりか、現実的な善」である。アリストテレスの言葉で言えば、政治は「究極の精神活動」であり、クリックは「政治は文明をつくる」ことを強調する。

 まさに、「文明の打算」が、「野蛮な衝動」に優る所以である。