政治学講義④:(1)政治とは何か③可能性の技術・・Ⅱ | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 「可能性の技術」としての政治は、戦争や革命の際に行使される暴力とは異なる。暴力という「野蛮な衝動」の対極にあるのが政治であり、それはバンジャマン・コンスタンが「文明的な打算」と呼ぶものである。

 その文明的な打算・妥協を体現した人物が、ジョセフ・フーシ(1759~1820年)である。

 フーシェは、フランス革命期に国民公会議員に穏健派として当選するが、ルイ16世の処刑に賛成し過激派に鞍替えする。そして、ロベスピエールの恐怖政治を支持する。しかし、その後は対立。テルミドール9日のクーデターに参加し、総裁政府の警察大臣に就任する。ブリュメール18日のクーデターではナポレオンの政権奪取に協力し、権力中枢で警察大臣を続ける。その後も、秘密警察を使ってあらゆる組織、人物の情報を入手して、権力の維持を図った恐るべき人物である。

 シュテファン・ツヴァイクは、名著『ジョセフ・フーシェ:ある政治的人間の肖像』で、権謀術数のかぎりをつくすフーシェの姿を見事に描いている。

 ツヴァイクはフーシェを「近世における最も完全なマキャベリスト」と性格づけ、ロベスピエールとの闘いに勝ち、「ナポレオンにさえ、ある種の恐怖の念を吹きこんだ」(バルザック)この政治家の姿を描写している。「政府が、国体が、主義が、人間が、移り変わり、この世紀の転換期の騒がしい旋風のなかで、すべてのものがこわれて消えた。ただ一人、変わらぬ地位にあってすべてに仕え、すべての主義にしたがっていたのが、ジョゼフ・フーシェであった」。

 フーシェこそ、政治という「可能性の技術」を縦横無尽に駆使した「特異な天才」政治家であった。セントヘレナ島に流されたナポレオンは、「余は真の完全無欠な裏切り者を一人だけ知っている。それはフーシェだ」と呟いた。

 フーシェは「政治のカメレオン」(長塚隆二)であり、「サンクルーの風見鶏」と呼ばれた。日本では、中曽根康弘元首相が「政界の風見鶏」と称されたが、それは、三角大福(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)のうち時に応じて連携の相手を変え、最終的に政権を手にしたからである。しかし、権謀術数という観点からは、ジョセフ・フーシェとは比較にもならない。

 暴力や武力の行使をせずに、説得や話し合いによって利害を調整するのが政治の技術であるとすれば、それは賞賛に値する。こう言うと、政治が綺麗事のように聞こえるかもしれないが、現実はそうではなく、マキャベリ的な「文明の打算」そのものなのである。

 ツヴァイクは言う。「政治という権力がものを言う世界においては、すぐれた人物、純粋な観念の持ち主が、決定的な役割を演ずることはまれであって、はるかに価値は劣るが、しかしさばくことのより巧みな種類の人間、すなわち黒幕の人物が決定権を握っているのである」。