衆院選後の日本政治(7):11月27日〜11月28日 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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11月27日:7時のNHKニュース、やはり日馬富士問題のほうが、国会予算委員会よりも先。暴行事件も森友問題も、何が真相なのか?前者は被害者の声がないし、後者は会計検査院の調査を確かめるデータがない。だから問題が長引く。

1127日:まともな国ではテレビのMCは私見を言わないが、日本ではこの国際的常識が守られていない。事実を正確に伝えるのが仕事なのに、自分が正義を体現しているかのようにのたまう。うんざりするが、そんなときは、外の自然を眺めるのが最良の清涼剤だ。「とある日の銀杏もみぢの遠眺め」(万太郎)。

 

11月28日:テレ朝の廣淵升彦元報道制作部長が「最近のテレビニュースを見て、腹を立てている人が多い。キャスターが自分の主観を語りすぎることがひとつ、もうひとつは番組制作者の意見を代弁する論客を、あたかも良識の代表のように扱って起用しすぎることである」と苦言(『メディアの驕り』)。その通りだ。

11月28日:廣淵語録の続き:「ベテランの新聞記者で 、テレビのニュースキャスターに起用された人たちは、ほぼ例外なしにニュースに自分の意見を入れたがる。思えばこの人たちは、新聞記事を書く場合にも、事実と私見を適当に混ぜ合わせて原稿を書いていたのではないか。その癖がテレビに来ても抜けないのだ」。

11月28日:廣淵語録(続き):「『視聴率だけではネットワークの評価は決まらない。社会を動かしている中堅層および知的な階層の支持を得ているかどうかが重要なのだ』と彼(CBSのビル・ベイリー)は強調した。視聴率さえ取ればよいのだと思い込みがちなテレビ局員に、よく噛みしめてほしい言葉だった 」。

11月28日:廣淵語録を続ける。「知らない領域について滔々と愚論を述べる素人もいれば、大衆を教え導くのだという変な使命感に取りつかれて、極論を吐くコメンテーターもいっぱいいる。そうした人々が形成する『世論』なるものが、まともな常識を駆逐しているのだ」。かつての日本人の良識はどこに行ったのか。