官僚をどう使いこなすか | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 役人は行政上の責任はとりたくないので、政治責任を背負うことができる者に裁可を仰ぐことになる。それは大臣であり、知事である。都知事は、一国の大統領と同じであるから、あらゆる分野に目配りをしなければならない。しかし、劇場型の政治手法をとるリーダーは、マスコミや世間が興味を示す問題にのみ精力を集中させる。自分が関心のないテーマは見向きもしない。その典型が小池都知事である。

 メディア主導の劇場型ポピュリズム政治ではなく、国民としての義務と責任とを自覚した有権者に支えられる成熟した政治を構築するにはどうすればよいか。都庁には、16万5000人の職員がいる。彼らをどう使いこなすのか。官僚を敵に仕立て上げてバッシングし、マスコミの歓心を買うのはポピュリズムであり、衆愚政治である。しかし、都知事のリーダーシップに対して反旗を翻す役人には、メディアを利用するなどして抵抗を抑え込まねばないときがある。これは大臣も同じで、霞ヶ関の官僚との戦いである。

 「脱官僚」というスローガンを唱えるのは容易だが、実際にそれを実行するには、並々ならぬ努力が要る。リーダーは、大きな方向付けをし、的確な指示をだせば、あとは優秀な官僚が政策を実行する。それが理想的な形である。

 厚労大臣のときにはポピュリズムと戦ったが、知事になっても同様で、知事辞任後の今でも、その戦いが続いている。いつになったら日本に「国民としての義務と責任とを自覚した有権者に支えられる成熟した政治」が実現するのであろうか。今のマスコミは、そのような方向とは逆の劇場型政治を増幅させている。

 都知事に就任してからは、毎朝出勤し、分刻みで各局の報告を聞き、必要な指示を出し、現地を視察しといった具合に、夜まで公務をこなす地味な行政官に徹した。ポピュリズムや劇場型とは正反対の統治を行ったのである。しかし、それは地味だからこそ、マスコミは注目しない。部数も伸びなければ、視聴率も上がらないからで、金儲けしか念頭にないのである。

 ところで、都庁職員には2種類のパターンがある。あえて単純化すると、(A)パターンの職員は、「知事に阿る、面従腹背、遊び優先、霞ヶ関官僚に劣等感、自己利益追求、情報漏洩、政官業癒着」、(B)パターンは、「知事を諫める、官僚倫理貫徹、研究熱心、国と競争、都民優先、守秘義務堅持、利権屋と対決」となる。残念ながら、(A)類型の役人も少なくない。これが(B)の5分の1以上になると、都政は混乱する。今の小池都政は、その状態になっている。