補佐官が絶叫、「大統領が狙撃された!」(舛添要一世界と遭う②) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 「ブレイディ大統領報道官が撃たれた」と、補佐官は電話の内容を私に伝えた。困惑したが、次の情報を待ちながら、われわれはアジア情勢について会談を続けることにした。そして、5分も経った頃であろうか、またホットライン電話が鳴る。

 受話器をとりあげた補佐官が絶叫する、「大統領が狙撃された!」。ロナルド・レーガン大統領も撃たれていたのだ。彼の顔に緊張が走る。危機管理を行う鋭い鷹の目だ。「会議は中断だ。すぐに対応をとる」と、彼は私を残して大急ぎで部屋から出て行った。

 1981年3月30日、午後2時半頃、講演を終えてヒルトンホテルから出たレーガン大統領は、一人の男に狙撃され、銃弾は左胸に当たった。6発の弾丸は、ジェイムズ・ブレイディ大統領報道官、シークレットサービス、警察官にも命中したのである。男は、その場で警官らに取り押さえられた。

 当初、大統領は元気にしていたため、シークレットサービスも弾は当たっていなかったと判断し、大統領を乗せた大統領専用車はホワイトハウスへ向かったが、車が動きだしてからレーガンが胸の痛みと出血に気づき、病院へ急行したのである。この間、約5分間。ホットライン電話の1回目が鳴ってから、2回目が鳴るまでの時間だ。

 私は、ホワイトハウスを出てから、警察車両が行き交う中、午後の陽光を浴びながら、町中を歩いてみた。大統領暗殺未遂事件の速報は世界中に伝えられたが、もちろんワシントンDCでも大ニュースで、人々の知るところとなった。首都の空気もピンと張り詰めたような感じであった。

 ところで、私の宿泊先はアメリカ政府が手配してくれたが、高級ホテルではなく、一般の連邦政府職員が泊まる質素なホテルだった。ここでも連邦公務員の扱いであった。快適で、しかもホワイトハウスに近く便利だった。

 突発的な大事件に立ち会ってしまった緊張感からか、私は、散歩をしているうちに疲れてしまい、日没前にホテルに戻った。ところが、ここでも驚くべきことが待っていた。(続く)