ホワイトハウスのホットライン電話が炸裂(舛添要一世界と遭う①) | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 アメリカの首都、ワシントンDC、春の日差しが心地よい。ランチの後、ホワイトハウスの行政府旧館(old executive office building)に入る。事前登録してあったので、簡単なセキュリティ・チェックのみで、係が補佐官室に案内してくれた。

 私は32歳。ヨーロッパ諸国での留学を終えて日本に帰国し、アメリカ関連の研究に力を注いでいた頃のことである。私の専門は、外交防衛問題であるが、日本では安全保障、つまり軍事については研究すること自体がタブーとされるような雰囲気だった。そこで、まずフランスを中心にヨーロッパで勉強し、次いでアメリカの実態を見てこようと思ったのである。

 幸いなことに、若い外国人研究者を支援するアメリカ政府のプログラムがあり、私はその対象となっていた。渡米し、ハワイ、西海岸、東海岸と軍地基地や士官学校などを視察しながら見聞を広めていった。首都では、学者との議論とともに、政府高官との会談もセットしてくれていた。日本から来た若い一学徒に対するアメリカのこの寛大さは、実に素晴らしいと思った。テロとの戦いを進める今のアメリカからは想像もつかない35年前の話である。

 日本を発つときに、「舛添要一はアメリカ連邦政府の客人である」と記した一枚のお墨付きをアメリカ政府に発行してもらっていた。これが水戸黄門の印籠のように役に立つ。ホテルのフロントで示すと、支配人が出てきて、「あなたは大切なゲストですから、ホテル代は3割引です」と言ってくれる。要するに、アメリカ連邦政府職員並の厚遇をしてくれる。あるホテルなど、「3分の1のお代しか頂きません」とのことで、連邦政府の威光を実感したものである。

 ホワイトハウスでは、大統領補佐官と日米安保条約、アジアの政治状況などについて余人を交えずに議論を始めたが、30分くらい経ったところところで、ホワイトハウスの周辺でけたたましくサイレンを鳴らしながら何台ものパトカーが行き来し始めた。しかし、われわれは、あまり気にすることもなく会議を進めた。ところが、突然補佐官の机上の赤い(実際はワインカラーのような色)ホットライン電話が炸裂した。

 ホワイトハウスの中で仕事をするのも初めてだったが、政府高官のホットライン電話が鳴るのも見るのも、もちろん初である。補佐官の顔色が変わり、受話器をとる。(続く)