宇遅能和紀郎子 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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宇遅能和紀郎子ーうじのわきいらつこー

『日本書紀』では、菟道稚郎子皇子ーうじのわきいらつこのみこーと表記。


父 応神天皇
母 宮主矢河枝比売ーみやぬしやかわえのひめー

   『日本書紀』では、宮主宅媛ーみやぬしやかひめーと表記。
 

同母妹 八田若郎女ーやたのわきいらつめー

      『日本書紀』では、矢田皇女ーやたのひめみこーと表記。

     女鳥王ーめどりのみこー

      『日本書紀』では、雌鳥皇女ーめとりのひめみこーと表記。
 

宇遅能和紀郎子の異母兄弟姉妹については、
応神天皇をご参照下さい。



応神天皇は、近江巡行の際に、宇治の木幡に立ち寄りました。
その時に出会ったのが、和珥氏ーわにうじーの宮主矢河枝比売でした。
道ですれ違っただけでしたが、その美しさに心奪われた応神天皇は、
すぐさま取って返し、宮主矢河枝比売から素性を聞き出すと、
その夜、比売の家を訪ね、結婚の許しを乞います。
比売から、昼間の出来事を聞いていた両親は大喜びで、
その夜の内に、二人は結婚しました。



そして生まれた宇遅能和紀郎子を寵愛した応神天皇は、
宇遅能和紀郎子を、皇太子にしようと決めました。
丁度、半島からは、多くの渡来人がやってきて、
新たな文化が、大和の国にも伝わりつつありました。
そこで、最新、最高の教養を身に着けさせるため、
百済ーくだらーより、博識であると名高い王仁ーわにーを呼び寄せ、
宇遅能和紀郎子の師に付けました。

あらゆる典籍ーてんせきーを、王仁から学んだ宇遅能和紀郎子は、
「精通していないものはない」

と思われるほどの知識を得て、
聡明で思慮深く、母に似て美しく、たおやかに育ちました。
しかし、あまり、身体は丈夫ではなかったようです。



ますます、応神天皇は宇遅能和紀郎子を愛し、

宇遅能和紀郎子を皇太子にする決意を、公表することにしました。

そこで、世間では次期天皇候補と思われていた、
大山守命ーおおやまもりのみことー

 『日本書紀』では、大山守皇子ーおおやまもりのみこーと表記。と、
大雀命ーおおさざきのみことー

 『日本書紀』では、大鷦鷯尊と表記。

 第16代 仁徳天皇。

を呼び出しました。

まずは、二人に、
「お前達にも、何人もの子供が出来た。
上の子と下の子。どちらが可愛いものだ ? 」

と尋ねました。
すると、大山守命は、
「勿論、長く一緒にいる上の子です」
と答えました。
すると、それを聞いた応神天皇の機嫌が、見る見るうちに悪くなっていきました。
その様子を見た大雀命は、
「私は、まだまだ手のかかる下の子です。
目を離すことが出来ないほど、愛おしく思います」

と答えました。
途端に、応神天皇は機嫌を直し、
「そうであろう !  私も同じ気持ちだ ! ! 
実は、宇遅能和紀郎子を皇太子に任命しようと思う。
大山守命は、山川林野を守り、
大雀命は、宇遅能和紀郎子を補佐するように」

と、命を下しました。

大山守命にとっては、寝耳に水の言葉でしたが、

天皇の意図に感づき、自分が、次期天皇の補佐を命じられるように

策略した大雀命には、予定通りの返答でありました。

 


この翌年、応神天皇は崩御。
不満を燻らせていた大山守命は、宇遅能和紀郎子の殺害を企てます。
その動きを察知した大雀命は、すぐさま宇遅能和紀郎子に知らせました。

驚いた宇遅能和紀郎子でしたが、すぐに罠を張る為、行動します。
宇治川のほとりにやってきた大山守命の対岸に、自分の衣を着せた部下を立たせ、
草むらに、多くの弓矢を持たせた部下を隠れさせました。
宇遅能和紀郎子に扮した部下を見つけた大山守命は、
渡し船の船頭に声を掛け、宇治川を渡ろうとしました。

そして、対岸からの弓矢が、大山守命に届く距離まで近づいた時、
突然、船が大きく揺れ、大山守命は、宇治川に落ちてしまったのです。
 

慌てて、船にしがみつこうとする大山守命でしたが、
宇治川の流れは激しく複雑で、思うように身体が動きません。
必死で、船頭に助けを求めますが、
顔を合わせた途端、大山守命は凍り付きました。
船頭は、宇遅能和紀郎子だったのです。

罠に嵌ったと、気づいた時にはもう遅く、
大山守命に降り注ぐ矢の嵐。
そのまま、川の流れに飲まれ、大山守命は流されて行ってしまいました。
その遺体は、現代の京田辺市付近で見つかり、埋葬されたと伝えられています。



大雀命の知らせで、窮地を脱した宇遅能和紀郎子は、
感謝の意と共に、大雀命に天皇位を継いで欲しいと伝えます。
宇遅能和紀郎子は、儒教の教えを学んでいた為、
長男相続の考えを持っていたのです。
しかし、大雀命は、日本古来からの末子相続の考えを持っていました。

お互いに、譲り合う事3年。
平行線のまま、天皇空位の時代が続きました。
『古事記』には、あまり身体の丈夫ではなかった宇遅能和紀郎子は、
病に倒れ、夭逝してしまったと記されています。
また、『日本書紀』には、治めるもののいない状態が続くことは、
民衆にとって良くないと考えた宇遅能和紀郎子が、
自ら命を絶って、大雀命を天皇の地位に就かせたと記されています。



『日本書紀』の話の方が、美談として語り継がれています。
しかし、以前、宇治神社と宇治上神社のエントリで、
ご祭神の一柱である宇遅能和紀郎子について書いた時は知らなかったのですが、

今回調べなおしていく内に、
応神天皇が最も愛した子供が、次期天皇に相応しくなるように、
当時最高の教育を受けさせたのに、
その教育のせいで、跡を継ぐことを拒んで、自らの命を絶ってしまった事を知り、
悲しさと皮肉を感じてしまいました。



また最近では、実は、宇遅能和紀郎子は天皇位に就いたけれど、
大雀命に攻め滅ぼされ、その地位を簒奪されたとも考えられているようです。

しかし、

「仁徳」

の名の通り、民衆の生活が苦しいことを知り、
自らも節制して免税し、生活が豊かになったのを確認してから、
税を復活させたという民衆思いの逸話や、
宇遅能和紀郎子の母方の和珥氏に伝わっていた、
「攻め滅ぼされたのではなく、自ら身を引いたのだ」
という記述を採用して、『記紀神話』にまとめられたという研究もされているようです。
 

何れにしろ、第16代天皇となったのは大雀命で、
河内平野の水害を抑える大規模な土木事業や、
各地に灌漑用水を引いたり、堤を築くなど、
「聖帝ーひじりのみかどー」

と呼ばれるに相応しい事績が記されています。

まぁ、かなりの女好きで、美女に目がなく、
嫉妬深い皇后に悩まされ続けていたのが、
欠点と言えるかもしれません。
 


ご神徳 学業・受験合格



ここからは亜紀がお送りします。


宇遅能和紀郎子の話を知った時

「えっ? なんで?!」

と、思いました。

自ら命を絶って即位を譲る・・・と言うのが。

「裏に何があるんた!!!」

と、思いましたよ。

 

さてさて、どんな方なんでしょう。

 

父親に良い先生をつけてもらって、

沢山の学問を習得したのだろうな。

先生だけではなく、

今で言えば学術書とでもいうか、

学びたい事の資料も、

実践も様々手に入れる事が出来たのでしょう。

 

生来身体が弱かった事もあり、

父親から可愛がられ、

日嗣の皇子として、

大いに学んだんだろうけど、

結局人の上に立つには、

人にもまれないといけませんしね。

 

そこら辺の人間関係の構築は、

すごく苦手だったんじゃないだろうか。


自ら命を絶ったのか、

命を散らしたのか、

そこら辺はよく分からないんだけど、

学びというものは、

生きていく事に活かしてこそそれは

「智慧」

となり、生きる事に活かされるんだろう。

 

ご神徳の

「学業、試験合格」

もやっぱりお願いするなら、

どうなりたいから、

その学びの道に入るのか、

その試験に合格したいのか。

そこら辺をはっきりさせるといいでしょうね。


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