宇治神社・宇治上神社 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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建部大社の記事を書いた時に、

菟道稚郎子命(うじのわけいらつこのみこと)が出てきたので、

「そういえば、宇治上神社も、過去に行ってた」

と思い出しました。

 

そんな訳で、過去記事blogの再アップです。

 

 

「宇治神社」の鳥居をくぐり、手水舎へと足を運ぶと、

なんだか見慣れぬ形のものから水が流れ出ていました。


大概、手水舎では龍と対面するのですが

(大神神社では蛇・北野天満宮では牛など)、

ここではなんと兎でした!

 

 

薄れてしまっていましたが、確かに「神兎」の文字が刻まれています。
手水舎で兎に出会ったのは初めての私達。

少々テンション上がり気味に石段を登ります。

 

莵道稚郎子命が、河内より宇治に向かっている途中で、

道に迷い、難渋している時に、一匹の兎が現れ、

道案内をした古伝があるそうです。

 

後を付いてくる莵道稚郎子命を、振り返り振り返り先導したことから、

「みかえり兎」と言われ、後に、

道徳に叶った正しい人生の道を歩むよう教え諭している

とされ、神使となったのだとか。


 

 

こじんまりとした境内には、七五三のお参りの為、

家族連れが押しかけていて、

にぎやかで華やかなムードに包まれていました。


記念写真を撮る子供達の可愛さに目を奪われつつ、

お宮の前の智恵の輪をくぐります。

 

 

学問のご利益のある宇治神社では、

色とりどりのランドセルを模ったものなど、

子供の目を奪ってしまいそうな可愛いお守りが並んでいました。

こちらには、ヒノキで造られた「木造狛犬」があるそうです。

現存するものの中で最大級のものだそうですが、

現在は歴史博物館に預けられているそうで、

見る事は出来ませんでした。

 



「宇治神社」を通り抜け、

すぐそばの「宇治上神社」へと進みます。

 

 

応神天皇の離宮と関係があったと云われる

「宇治上神社」と「宇治神社」は、明治維新まで

それぞれ「離宮上社」「離宮下社」と呼ばれ、

二社一体として奉られていました。

 

 

応神天皇の皇子で、

宇治十帖の八宮(はちのみや)のモデルとも言われている

「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」の邸宅跡に、

その霊を祭ったのが両神社の起こりと言われています。

 

 

御祭神は莵道稚郎子・応神天皇・仁徳天皇。
国宝に指定されている本殿は、平安後期のもので、

現存する最古の神社建築です。
「宇治上神社」は世界遺産にも登録されています。

 

 

「宇治神社」の境内には「桐原水」という

宇治七名水に選ばれた湧き水があります。
他の六名水が失われた今、

現存するただ一つの湧き水となってしまいました。

 

が、私の記憶が確かならば、

この湧き水のある場所に張ってあった張り紙には

「飲めません」の文字が!
柄杓なども置いてあったのですが、

何に利用しているのかよくわかりませんでした。

 

時々、オオサンショウウオが現れるという「桐原水」。

飲み水には適していないらしく、柄杓で汲んだ水は、

必ず煮沸消毒をしてから使用してください。との事でした。

 

 

「宇治神社」の明るい雰囲気とは違い、

深い森に囲まれた庵のような、落ち着いた雰囲気の「宇治上神社」。
手前に「清めの砂」が積まれた神殿造りの美しい拝殿は、

今にも十二単の女官が出てきそうでした。

 

 

高い木々と、深い緑の隙間から零れ落ちる木漏れ日の中で

深呼吸をした後は、「源氏物語ミュージアム」へと足を運びます。

 

 

これは、2004年に、宇治をぐるっと廻った時の記事ですね。

車を宇治商店街に停めて、

平等院→塔の島→宇治神社→宇治上神社→

源氏物語ミュージアム→興聖寺→橋姫神社→縣神社

と巡りました。

 

莵道稚郎子命と言えば、悲劇の主人公として、

その生涯が語られています。

 

莵道稚郎子命は、第十五代応神天皇の末の方の皇子ですが、

渡来人の王仁(わに)や阿直岐(あちき)に儒教を学び、

応神天皇にもその才能を認められて、皇太子となりました。

(古来より続く末子相続の思想も影響)

 

しかし、莵道稚郎子命は、学んだ儒教の思想から、

長子相続の考えを持っていました。

 

応神天皇の死後、末子相続を不服とする異母兄の一人、

大山守皇子(おおやまもりのみこ)が、莵道稚郎子命の命を狙いますが、

それに気づいた、応神天皇の長子、大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)

と、知らされた莵道稚郎子命の謀略に遭い、逆に命を落としてしまいます。

 

その後、莵道稚郎子命は、異母兄大鷦鷯尊に、

天皇の位に就く事を勧めますが、父王の遺言を守ろうと、

兄は、なかなか首を縦には振ってくれません。

都を離れ、宇治の地に移り住んでみても、

お互いに譲り合いは続きました。

 

天皇空位のまま、3年の月日が流れ、

このままの状態は、民衆にとって良くない。

そう判断された莵道稚郎子命は、

自ら命を絶って、兄に天皇の位に就くことを促しました。

 

即位した大鷦鷯尊は、第十六代天皇として、

田地の開拓や灌漑用水を引くなどの大規模土木工事を行ったり、

人家から炊煙が立ち上っていないことに気づいて、

自らも倹約をして、3年間租税を免除したりと、

民衆の生活を支え、その治世は仁政として知られ、

「仁徳」名を諡号(しごう)されました。

 

 

・・・という話よりも、いつの間に出来たのか、

宇治神社のパワースポットなるものがあることに

びっくりしましたよ。

 

境内奥、本殿の右側に、ひっそりと木々に囲まれた場所があり、

神使兎の像が安置されているそうです。

古代からの、自然の力が流れる場所なのだそうですが、

さまざまな願い事が叶うそうですよ。

 

お守りやおみくじにも、うさぎが使われていますが、

古来宇治は、菟道(うさぎのみちの意)とも書かれていたとか。

 

うさぎと、縁のある土地なんですね。

 

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