近江国一之宮 建部大社 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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京都、滋賀の一之宮巡り。

ラストは、近江国一之宮 建部大社です。

 

 

御祭神は、本殿に日本武尊(やまとたけるのみこと)

       権殿に大己貴命(おおなむちのみこと)

 

御神徳は、日本武尊 開運・出世・必勝・厄除・災難除

       大己貴命 縁結び・商売繁盛・家内安全・病気平癒・醸造

 

 

前日、草津で一泊した私達は、

大津の建部大社へと車を走らせました。

 

ある程度の場所は分かっていたものの、

細かい地図までは分からないのでナビを使っていたのですが、

絶対こんなとこにないよ!

と一目でわかる、とある住宅地へと案内され、挙句に

「目的地に到着しました。お疲れ様でした」

と、案内を終了されてしまいました。

 

いやいや、知らないお宅の前で車停めさせられても・・・。

 

辺りを見回すと、鎮守の杜らしきものが、

ナビが案内してくれた家の裏に、こんもりと見えます。

 

きっと、多分、あそこが目的の神社。

 

見当をつけて、Uターンの出来ない住宅街の細い道を、

ぐるぐると元の道まで戻り、方向だけを頼りに道を選んでいくと、

無事に辿り着くことが出来ました。

 

何となく、初めて晴明神社に行った時、

周囲を彷徨って、なかなか神社に辿り着けなかったことを

思い出しつつ、駐車場に車を停めて、参拝です。

 

 

御祭神の日本武尊。

記紀神話の中で、天皇の時代の話になってからは、

神武東征に次ぐ、英雄譚の主人公として書かれています。

 

実は、日本武尊が奉られている神社に参るのは初めてでした。

 

晴明神社の時もそうでしたが、たまーに、

初めてお会いする神様が奉られている神社に参る時に、

目の前まで来ているのがわかっているのに、

周囲をぐるぐると彷徨うことがあります。

 

そんな時は、

「まだ、迎える準備が出来ていないから、もうちょっと待ってて」

と神様側から言われているのよ。

なんて、冗談で言ったりしています。

 

迷ってイライラするよりも、逆に楽しんでしまった方が、

精神衛生上いいかな? と思っています爆  笑

 

 

日本武尊は、元の名を小碓命(おうすのみこと)と言い、

第十二代景行天皇(けいこうてんのう)の、

80人いたと言われる御子の一人でした。

 

天皇は、若帯日子(わかたらしひこ)、大碓(おおうす)、

そして、小碓の三人の御子を皇子と定め、他の御子には、

それぞれ役目を持たせて地方へと遣わしました。

 

結局、第十三代天皇となるのは、小碓の腹違いの兄弟である

若帯日子(後の成務天皇-せいむてんのう-)なのですが、

第十四代天皇には、小碓の息子である帯中津日子(たらしなかつひこ)、

後の仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が就き、神武皇后と結ばれ、

第十五代応神天皇(おうじんてんのう)が生まれます。

応神天皇と言えば、全国の八幡神社の御祭神ですね。

 

また、応神天皇の後の第十六代天皇には、仁徳天皇(にんとくてんのう)

が就きますが、その異母弟に、菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)がおり、

この方も、源氏物語の宇治十帖に出てくる、八の宮のモデルになったり、

応神天皇、仁徳天皇と共に、宇治上神社の御祭神であったりして、

後に神様として奉られる方の多い血筋のようですね。

 

 

境内では、八月十七日に行われる、大津三大祭の一つ、

「建部大社納涼船幸祭」の準備の為か、

朝早くから、氏子さんと思われる方々が、

忙しそうに立ち働いておられました。

 

邪魔にならないように、そっと参拝と御朱印をお願いして、

境内を散策させて頂きました。

 

 

境内には、景行天皇や皇后、日本武尊の后や御子の他に、

今まで見たことがない名前の神様が、沢山奉られていました。

説明を見ると、日本武尊の西征や東征に随行した御付きの方々のようでした。

 

 

景行天皇は、日本武尊の東征には、兵士を付けなかったそうなので、

ここに奉られている方々は、西征に随行された方々のようです。

 

 

武富稲荷神社 御祭神は 稲倉魂命(うかのみたまのみこと)

                 日本書紀表記では倉稲魂命だけど、

                 稲と倉が逆になってます)

                 古事記表記では 宇迦之御魂神 )

 

 

八柱神社 御祭神は 藤時平 融大臣 事代主命 市杵嶋姫命

              素戔嗚命 豊玉彦命 櫛名多姫命

 

「八柱」と見た時に、素戔嗚命の御子神が奉られているのかと

思ったのですが、全く違う神様の顔ぶれで、不思議な気持ちが

しました。

他にも、高御魂神 神魂神 生魂神 足魂神 玉留魂神

大宮比賣神 大御食都神 事代主神などの神を奉っている

神社もあり、八柱神社に関しては、決まった神様の顔ぶれと

言う訳ではないようです。

 

 

大野神社 御祭神 草野姫命(かやのひめのみこと)

             古事記表記では、鹿屋野比売神 

             別名 野椎神(のづちのかみ)

             大山祇神(おおやまつみのかみ)の后神

日本武尊が、この地へと遷し奉られる前に、この地を守っていた

地主神だそうです。

 

 

 

こちらの神社は、日本書紀の表記を使っておられるようです。

日本武尊も、古事記では 倭建命 と表記されてますし、

古事記表記になれている身には、一瞬「ん?」と戸惑いを

感じます。

 

大国主命を、別名の大己貴命と表記しているのも、珍しいですね。

 

 

そういえば、日本武尊は、かつてお札になった方だそうで、

紹介の看板が立っていました。

 

 

千円札だったそうですが、昭和20年8月に発行された

兌換券(だかんけん)

-当時、貨幣の価値が定められておらず、通貨価値の基準であった、

同額の金貨や銀貨に交換出来る券-

だったそうです。

 

 

水琴窟の音色が、スピーカーで境内に流されていたので、

暑い八月のさなかでしたが、涼やかな気持ちで

境内を散策出来ました。

 

御朱印を頂きに社務所へと戻ると、金の鳳凰が、

社務所へと運ばれてきました。

 

 

どこに飾られるのかな? と拝見させて頂きながら、

こちらでも頂ける御神水の場所を、社務所の方に教えて頂き、

水を汲ませて頂きました。

 

 

少し硬い水でしたが、本殿奥の山林より湧き出ている地下水だそうで、

自然の水は美味しいですね。

 

 

常にゆるやかな風が吹いていて、空気が入れ替え続けられていた

境内でしたが、神門を潜り帰る時に、強い風が吹き、

神門に吊るされていた風鈴が一斉に鳴り出し、とても綺麗でした。

 

神輿が運び込まれたり、祭りの道具一式が運ばれたりと、

どんどんと氏子さん達が集まりだしたので、早々に

社を後にしましたが、初めて目にする神様が多くて、

とても新鮮な参拝でした。

 

 

 

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