和道ライフコーチ・志野デスーザ・ブログ

和道ライフコーチ・志野デスーザ・ブログ

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               2021年の今、あなたは. . .

”コロナなど、世の中の状況に疲弊していませんか?”

”今年こそ結婚したい!と思っていませんか?”

”婚活に疲れていませんか?”

”恋愛関係や結婚生活での悩みをお持ちですか?”

”国際恋愛・結婚願望をお持ちですか?”

”国際恋愛・結婚に関する悩みをお持ちですか?”

”家族やお姑問題を抱えていませんか?”

”仕事や職場の人間関係などで悩んでいませんか?”

”ふとした時に落ち込んだり、孤独感を隠していませんか?”

”人生の方向性に迷いがありますか?”


こんな気持ちをお抱えの方は、ぜひこの機会にご相談ください!

料金等はメニューバーの「サービス・料金」、詳細をご希望の方は「お問合せ・お申込み」欄よりご連絡願います。(お知り合いの方は、メールやメッセンジャー等にてご連絡下さい。)

私が住むニューメキシコ州の州都、サンタフェを初めて訪れたのはもう何年も前のこと。アルバカーキ空港からサンタフェ市内に入った瞬間の感動は、かつてイタリアのローマ市内で受けたそれとも似て・・・その光景は訪れる人を魅了してやみませんが、海外から日本が誇る古都、京都を訪れた友人達もまた、声を揃えて同様の感動を話してくれますおねがい

 

サンタフェは、その後も私達夫妻が主催する和道リトリートワークショップの出発地として、また世界各地から訪れる友人達の観光案内役として何度も足を運んでいるにもかかわらず、毎回新たなトキメキや発見を与えてくれる魅惑の地・・・

 

「アメリカの宝石」と呼ばれる街の歴史は合衆国の建国(1774年)より古く、スペインが統治し始めた1607年にまで遡るほど!さらにその遥か昔から、数千年にわたるネイティブアメリカンの歴史と文化が色濃く根づき、スペイン後に占領したメキシコ文化、ヨーロッパから新天地を求めて移住した西部開拓者の文化が融合し、世界に類を見ない独特な個性を放つ姿は、まさにアンティークの個性的なジュエリーが詰まった宝石箱のよう宝石緑宝石白宝石ブルー宝石紫

 

サンタフェはまた、芸術家達が多く住む地としても知られ、アートギャラリーの数は全米でニューヨークに次いで多く、いつか時間をかけて、一つ一つのギャラリーをゆっくり巡りたいとも思っています。

 

今回はカリフォルニアの大親友、キャサリン&ゲリー夫妻から「コロナもだいぶ落ち着いて、お互いにワクチンも打ったし、サンタフェで合流しない?」とのお誘いを受け、かの地での再会を何ヶ月も前から楽しみにしていました。途中、デルタ株が猛威を振るい始め断念寸前でしたが、なんとか決行!

 

 

定宿のホテル・サン・フランシス

 

 

当ホテルは観光客で賑わう中心地に在りながらも、

エントランスの扉を開けると静謐なエネルギーに身を包まれます。

 

 

 

これまで大聖堂内では必ず祈りを捧げて来たのですが、今回はコロナ禍で閉鎖中・・・

 

 

 

ネイティブアメリカンとして初めて聖女となった、カテリ・テカクウィサ像にご挨拶

 

 

サンタフェの街並み

 

 

 

 

 

宿泊中のホテル内にニューメキシコ産スパークリングワイン「GRUET(グリュエ)」の

テイスティングルームが出来たと聞き、ワイン通の親友夫妻が招待してくれましたボトルシャンパン

 

親友達とシャンパングラスを前に、至福のひと時・・・

 

私は4種類のロゼをテイスティングシャンパン

ディナー前に、お腹がいっぱいになってしまいました:笑

 

 

翌日は、観光客がいない郊外へドライブ。

中でも、アドビ建築(赤茶色の日干しレンガで造られた伝統的な家)が立ち並ぶ

ガリステオの街並みに、「アメリカとは思えない!」と驚く友人夫妻。

 

 

親友夫妻と過ごした3日間があっと言う間に過ぎた最終日。コロナ禍での別れのハグを躊躇する私に、フランス人のキャサリンは、「もう、ハグしちゃう!」と、両頬にキスをするフレンチハグ。そこへまるで演出するように美しく夕陽が差し込み、思わず涙ぐむ私達・・・

 

愛する親友達、そしてサンタフェ、また会う日まで!

 

 

”繰り返される緊急事態宣言、オリンピックを目前に閉塞感と緊張が高まる日本の皆さんに、

ワクチン接種完了後は穏やかな世界が待ってますから、ぜひ頑張って下さい!」との祈りを込め、

以下のブログを更新しました🙏”

 

 

独立記念日の7月4日、「新型コロナウイルスからの独立を宣言できる時が今までになく近づいている」とのホワイトハウスでのバイデン大統領の演説通り、ここアメリカでは穏やかな日常が確実に戻りつつあります。

 

変異株の脅威が続いてはいるものの、路上やスーパーの店内にまで軍隊が出動し、厳戒態勢だったロックダウンの時期に比べれば、信じられないほどの改善ぶり!

 

全米で起きていたアジア人差別や暴行を受け、ここ数ヶ月は私の買物時などにも主人のポールが同行していたのですが、ワクチンの普及と比例してそれらも落ち着き、やっと一人で外出できるようにも・・・

 

実際、3月のワクチン接種完了以降は、この時を楽しみに待ってくれていた友人達が、続々とここヒーリング・ランチ(癒しの牧場)を訪れてもいます。

 

そんな折、ポールと「ずっとこもっていたし、久しぶりに息抜きしたいね」と話し、パンデミック以降初めて牧場を離れ、アルバカーキへ二泊三日の週末旅行に出かけました。

 

都市から自然の中へ息抜きに出かけるのが一般的ですが、私達の場合はまさに逆・・・パンデミックと同時にシリコンバレーから大自然の牧場に越して早一年・・・久しぶりの都会の喧騒です。

 

ヒーリング・ランチの周辺はネイティブアメリカンのナバホ居住地のため、私達の周囲はナバホの人々ばかり。対してアルバカーキは大多数の白人層に加えメキシコ系の人も多く、同じ州とは言え、まるで外国に来たような錯覚を起こしたりも。

 

ホテルに到着すると、ロビーでマスクをしているのは私達だけ・・・フロントデスクの女性に聞けば、「ワクチン接種完了の方は、ホテル内やレストランでもマスク着用は不要です」とのこと!

 

公共の場でマスクをしないことが初めての私達は、恐る恐るマスクをはずし、、、その後の滞在中は、まるでパンデミックなど起きなかったかのような開放感をたっぷり味わうことが出来ましたキラキラ

 

 

”ホテルのロビー”

ニューメキシコ州には、スペイン、メキシコ、ネイティブアメリカンの文化が

織りなす独特な雰囲気があります。

 

 

 

ディナーはホテル内でメキシコ料理を堪能し、翌朝は向かいのSawmill Market(ソウミル・マーケットにて朝食。ここは1903年設立の材木工場を2019年に改装し、地元のグルメなお店が集結した食のパラダイス。オープンとほぼ同時にパンデミックが襲ったにも関わらず、満客の様子にホッとしました。

 

元工場を彷彿させる、Sawmill Marketの外観

 

ニューメキシコ産のダークチョコレートをお土産に・・・

 

 

その後はホテル周辺を散歩したり・・・

 

 

 

 

 

部屋で休憩したり・・・

 

ホテルの窓からの眺め

 

 

室内には、ニューメキシコ州を流れる大河、リオ・グランデの写真集が・・・

 

 

午後は新居用の家具を購入したり・・・

 

ニューメキシコらしいラスティックな家具が沢山!

 

 

さらにポールは「せっかくだから、志野が前から行きたがっていたLos Poblanosでディナーをしよう」と提案。”ロス・ポブラノス”は、オーガニックラベンダー畑と美味な食事で知られる素敵なファーム(農場)コスモス ニューメキシコ州での”和道リトリートワークショップ”を開催するたびに、空港などでラベンダーバームを購入しては、いつかファームを訪れたいと思い続けて来ました。

 

今回は、50もあるゲストルームがパンデミック後の来客で満室だったため行く予定ではなかったのですが、滞在中のホテルから至近距離であることがわかり、いざ念願の場所へ!

 

 

ちょうど咲き始めたラベンダーが迎えてくれました。

 

 

食事やカクテルにもラベンダーがあしらわれ、至福なひと時・・・

 

 

 

Ristra(乾燥した唐辛子の束)を吊るし、来客をウェルカムするのがニューメキシコ流

 

 

 

つい食のことばかりになってしまいましたが、一年以上、たまにギャラップ(最寄りの街)でテイクアウトをする以外は自宅で過ごして来たので、久しぶりの美味な外食は、お腹と心の滋養になりました。

 

とは言え、三日目になると牧場に残して来た動物達が無性に恋しく、帰途を急ぐ私達 馬 帰宅するや、犬達は大興奮で駆け寄り、馬達はハグを求め、猫はすり寄って甘えて来ます。

 

 

 

そして見慣れたはずのドラマティックな夕陽に感動し、街とは反するヒーリング・ランチの静寂に、「やっぱりここが私の居る場所」と、実感するのでした・・・

 

 

 

 

メモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)の三連休を迎えたアメリカでは、コロナワクチンの接種完了者数と比例し、マスク不要の場所も増え、一挙に開放ムードが高まっています。

 

まだまだ油断は出来ませんが、これまでの閉塞感を晴らすように、空港やハイウェイは連休を利用した旅行者でいっぱい!

 

そんな中、私達はヒーリング・ランチに越して初の結婚記念日を祝いました。
 

 

       ポールが作ったューメキシコ州名物のブルーコーンパンケーキに、ミモザで乾杯!

 

 

 

                                              こちらが実際のブルーコーン

 

 

 

                            宴もたけなわな頃、愛馬のサーシャが飛び入り参加!

 

 

 

大自然の中での暮らしは不便なことも多々ありますが、パンデミックも翳りを見せ、こうして愛する人や動物達に囲まれ、穏やかに記念日を祝えたことに感謝するばかり・・・

 

オリンピックを控えた日本では緊急事態宣言も長引き、色々な意味で疲れが溜まっているかと思いますが、皆さんが心身の平安を保てますよう、ここヒーリング・ランチから愛と癒しのエネルギーを贈ります宝石緑宝石緑宝石緑

( クローズ予定の旧ブログより抜粋:2011年7月付記事 )

 

「私達はこの夏ジョージア州に行くから、それまでにはマチルダが離乳して森に還れるといいのだけど」と言いながらも、このままずっと彼女がそばにいてくれることを願う自分もいました。しかし保護を禁止された地域の住宅街で鹿を飼い続けることには限界があり、野生の動物をペット化することも無意味、、自然界で自由に生きるのが彼女本来の姿に違いありません・・・

 

 



 

やがて7月も終わりを迎えたある日、、、骨折した脚が完治とは言えないものの、以前と同様にジャンプし、駆け巡ることができるまでに回復したマチルダは、初めてケージを頭で押し、外に出たがる仕草をするようになりました。

 

ポールは「It's time(その時が来た)」とつぶやき、マチルダをケージから出します。すると思い切り駆け出したのち、ふと立ち止まって振り返り、私達をじっと見つめるマチルダ。。。眩しい朝陽が彼女をスポットライトのように照らし、私とポールは別れの時が来たことを悟りました。

そのまま森の奥深くへと走り去ったマチルダが、その後姿を現すことはありません。でもいつか、あの愛らしい背中の白い斑点が消える頃、大人に成長したマチルダと再会できるような気もしていました。

 

やがて夏が過ぎ、見事な紅葉のあとには雪深い日々が続きます雪の結晶

 

そして翌年の春のこと・・・

 

私は「マチルダが、あの厳しい冬を無事に越えることが出来たのならいいのだけど。もしそうなら、今頃大きく美しい牝鹿になっているでしょうに」と心配しつつ、彼女の写真を眺め入っていました。

 

すると、窓の外に一頭の牝鹿が現れたのです!

 

「え?もしかして、マチルダ?」と問いかけ、急いで手元のスマホで窓越しに写真を撮り外に出たのですが、まるで幻のように、すでに彼女の姿はありませんでした。

 

 

 

通常 鹿は群れで行動することから、単独で現れたこの牝鹿は、きっとマチルダだったと思えてなりません。冬越えを心配していた私を安心させるために、成長した姿を見せてくれたのだと・・・



短い月日ながらも沢山のかけがえの無い想い出をくれたマチルダとの日々、、一生忘れることはないでしょう!キラキラキラキラ

( クローズ予定の旧ブログより抜粋:2011年6月付記事 )

 

我が家の庭でレスキューした子鹿のマチルダを、その後は仕事で外出するポールに代わり、私がすべての面倒を見ることに・・・当初は3時間ごとに動物用のミルクを作ってあたえ、それこそ生後間もない赤ちゃんを育てる母親のような心境でした。やがてミルクと並行して草を食べるようになってからは、ケージの外に連れ出し一緒に散歩。「マチルダ!」と呼べば、遠くからでも勢いよく走って来るようになりました。
 




ある夜、午前3時頃に激しい雷雨の音で目覚めた私は、急いでマチルダの様子を見に外へ!生まれて初めて嵐を迎えた彼女はおびえ、ケージの中を走り回っています。ミルクを与え、「これは嵐といって明日になれば終わるから、なにも心配することはないのよ」と言い聞かせながら撫でると、落ち着きを取り戻しました。

 

ミルクを飲み終えたので離れようとすれば、「お願い、怖いからもう少しそばにいて」と言わんばかりに鳴くマチルダ。レインコートで覆いきれない私の足下はすっかりずぶ濡れ状態なものの、マチルダを抱き寄せ、彼女の気がすむまで撫で続けていました。

見事に晴れた翌朝、ポールに夜中の出来事を話すと、「熟睡していてぜんぜん気づかなかったよ。それにしても朝起きるのも苦手な志野が、夜中に飛び起きてマチルダの面倒を見たとは感心だ」と驚きの顔!

 

家の中でミルクタイム





 

またある日は、散歩に出たマチルダが夕食時に帰って来ず、朝を迎えても戻らない彼女を心配し、裏庭の森の中で彼女の帰りを祈り続けました。しばらくすると薮の中でガサッと音がし、姿を現したマチルダ。「やっと帰って来た!」と喜びの声を上げたのも束の間、渓谷のような裏庭は坂になっているため足を滑らせたのでしょうか?なんと彼女の前足が折れています!ショボーン

身体もだいぶ大きくなり、ようやく森に還れそうだったマチルダですが、折れた骨が悪化しないよう、再度ケージの中で面倒を見ることに・・・

 

もともとこの界隈では鹿のレスキューが禁じられているため、獣医に連れて行くこともできません。それでも、どこか鹿などの手当をしてくれる施設がないものかとネットで色々と探し、遠く離れた野生動物保護団体に電話をかけて聞けば、「鹿は受け付けていません。骨折して手に負えないようなら、警察に連絡すれば銃殺しに来てくれますよ」との信じられない返事が ムカムカ

 

「犬用のヘアサロンやスパは沢山あっても、鹿は命さえ尊重されないの??」と、やりきれない思いがこみ上げて来ましたが、「それならマチルダが元気になるまで、私達がなんとか面倒を見よう」と、板と紙テープで彼女の足を固定し、折れた骨が安定するのを待つことに・・・

 

青いテープで巻かれた脚は、立つことも出来ませんでした。

 


その後は、マチルダに代わって私が森に入り、彼女が好むエサ(数種の草)を採る日々が続きました。時には汗だくに、時には沢山の蚊にさされ、また時には渓谷でしりもちをつきながら・・・それでも可愛いマチルダが喜んで草を食べる姿を見ると、そんな苦労も吹き飛びます照れ

 

さらに、骨折で運動不足のマチルダが便秘気味の際は、母鹿が子鹿の排便を促すためにおしりの穴を撫でることを真似ながら、「マチルダがいい糞をした!」と喜ぶ自分に、東京でヒールしか履いたことのなかった私がずいぶん変わったものだと実感したりも・・・


また、当初は禁止事項である鹿の保護を隠していた私達ですが、次第に寛大な近所の人達の間でマチルダはアイドルのような存在になり、可愛い彼女を一目見ようと、子供達を連れて訪れるファミリーもありました。

 

徐々に折れた脚も良くなりつつ、、、

 

 

さようなら、小鹿のマチルダ!」《 後編 》につづく・・・

( クローズ予定の旧ブログより抜粋の2011年6月付記事:今読み返すと、この頃から野生の動物達と本格的にふれあい始めたことを感じます。)

 

ジョージア州への旅支度をしていたところ、なにやら庭先から人々の声が聞こえます。表に出ると、そこには近所の人達の姿が・・・そして彼らから、我が家の庭に子鹿がうずくまっていることを知らされました。皆は子鹿を心配しつつも、あまりの可愛さにそれぞれが写真を撮っています。私は、「なんで小鹿がうちの庭に??」と思いつつ、急いでポールに事情を伝えにいきました。

彼は子鹿を見るや、「生後まだ間もない。炎天下でこのままいたら脱水症状を起こし、あと数時間ももたないだろう」と言い残し、子鹿を日陰へ移したのち、即効ファームストアへ出かけました。30分もしないうちに、ケージや動物用の粉ミルクなど諸々の必要物資を購入して戻り、すぐに子鹿をレスキュー!近所の人達も、ポールの迅速で的確な対応に驚くばかりびっくり

一体、この子鹿の身に何が起こったのかは分かりませんが、おそらく迷子になったか、母鹿に子育ての準備ができていなかったために育児放棄したのでしょう。人間の世界と同様、残念なことに自然界でもそのようなことは起きるようです。

 

もし母鹿が戻って来たとしても、小鹿の匂いから人間が触れたことを察知し、小鹿を連れずに去って行くこともあるため迷いましたが、衰弱した小鹿には、母鹿が戻って来るのを待つ時間的猶予はありませんムカムカ


 

最初はミルクを飲む力さえなかったマチルダ



 

愛猫のスコッティも心配しています。



 

同時に、私はこの界隈の野生動物保護組織をリサーチし、子鹿を保護してくれそうな団体を探しました。ところが、どこも鹿の保護は受け付けていないどころか、保護自体が禁止されているとのこと! リスやウサギですら保護するのに、なぜ鹿は例外なのか、、天敵がいないために増えすぎた鹿達は、もはや保護する対象ではないのでしょうか??

結果的に、獣医や警察、Facebook上などの公の場で助けを求めることもできず、ポールと私は内密にこの子鹿を守ることにしました。一体誰が、こんなにも可愛い鹿の赤ちゃんを見殺しにできるでしょう!?

とは言っても翌朝からはジョージア州へドライブ・・・義母(ポールの母)が心臓の手術を受けるため、術後の看病にしばらく滞在する予定です。瀕死の子鹿を連れての長距離ドライブは厳しいと思いつつも、近所の人達には「君たちのように子鹿の面倒は見れない」と断られ、結局、子鹿を後部座席に乗せての10時間ドライブを決行することに!

 

子鹿には”マチルダ”と名付け、深夜も3時間ごとにミルクを与え続けた結果、翌朝には自力で立つエネルギーが出て来ました!

ドライブ中のマチルダは、お腹がすくと「メェ~」と子やぎのように鳴く以外はとても大人しく、予想以上にスムーズにジョージアへ到着。義母は”サプライズ・ゲスト”に驚きつつも、さすがインド時代に沢山の孤児や動物達を育て上げた逞しき女性、、翌朝には大手術を受ける身にも関わらず、色々とサポートをしてくれましたキラキラ

でも問題(?)はここから・・・ポールが義母の付き添いで病院に宿泊する間、マチルダの面倒は私が見ることになったのですが、なかなか彼のように上手く扱えませんもやもや

 

まだ哺乳瓶の飲み方を知らないマチルダの口を開きながら、シリンダーでミルクを与えるものの、思うように飲んでくれず、やっと飲んでくれたと思いきや口から吐き出す始末。夜中には何度も鳴き声で起こされ、ミルクをあげるためにケージから出そうとすれば、暴れて私の額をキックされ、痛っ!むかっむかっむかっ

 

 

ケージの奥に座り、警戒心たっぷりに私を見つめるマチルダ

 

翌日外に連れ出しても、隠れ続け・・・

 

 

しかし、こうしたマチルダと二人きりの濃密な時間のおかげで、彼女は私が母親代わりの存在だと気づいたのか、次第に心を開いてくれるようになりました ドキドキ

 

ジョージア州の義母宅にて


 


それから数日後には、あれほどまでに時間のかかったミルクを哺乳瓶から一気飲みできるようになり、庭を駆けまわるほどに元気も回復!

 

一週間後に私がジョージア州を去る頃には、名前を呼ぶとこちらに飛んで来るようにも。義母の手術も無事成功に終わり、デスーザ家に穏やかな時が流れます・・・
 


 




ポールはさらに一週間残り、私はスコッティや新たに居候として加わった外猫のジョージ、そしてアライグマ達の面倒を見るためにシンシナティの自宅へ戻りました。ポールとマチルダが帰って来るまでに、友人に依頼して庭にフェンスを作り、マチルダが自立して自然界へ戻れるようになるまで面倒を見続けようと思っています。

ジョージア州から戻った私に、「それにしても、あの子鹿は瀕死の中、こんなに沢山の家の中で、ちゃんと君たちの家を選んだんだね!」と言うお隣のご主人・・・ 私は心の中で呟きました。「そうね、マチルダの守護スピリットが、彼女を助けるためにここに運んだにちがいない」と。

子鹿のマチルダとの日々《 中編 》』につづく・・・

数日間続いていた大雪がやっと落ち着いたある日、ポールが最寄りの街ギャラップへ出かけている間、私はスカイプでクライアントさんとのセッションをしていました。

 

すると、犬達があまりに吠え続けているため、一旦スカイプを中断し、外へ様子を見に・・・そこには我が家の大型犬二匹と数頭の馬達に囲まれる中、震える子犬が!

 

セッションを終えて再び外に出ると、子犬はまだ同じ場所にうずくまり、私が近寄っても、「うーーっ」とうなり、小さな身体を奮い立たせて威嚇するばかりムカムカ

 

これまで野生の子鹿やアライグマ達をレスキューして来た私ですが、意外と野良犬の対応は難しく・・・

ポールが帰宅するや、折り畳み式のケージを広げて毛布を敷き、餌で子犬を誘導。ここ数日間、雪嵐の中をさまよっていたのでしょう。衰弱し切っていましたが、なんとか餌を食べてくれて一安心
照れ

 

彼が抱き上げメスと確認できたものの、これまで人間と触れ合ったこともないのか、私達が近寄ると怯えていたため、その夜はケージを玄関外に置き、中で眠れるようにセット。子犬が発する独特の匂いに誘われ、マウンテンライオン(山猫)やコヨーテが近づく可能性もあることから、番犬として我が家の犬達も外に出し・・・こうして牧場の夜が静かに更けていきました お月様キラキラ

 

それにしても、生後わずか数週間の子犬が、どこからどうやってこの牧場に辿り着いたのか想像もつきません。通常、犬が口にすることのない枝や葉を食べる様子から、子犬が飢えをしのぐために、それらを食べ続けていたことだけは分かりました。

ギャラップにはこうした動物達を保護する施設もありますが、こんなに小さな子を放っておく気になれず、我が家の一員として迎えることに・・・そこで私が思いついた名前が”セージ”

 

ここHealing Ranch(ヒーリング・ランチ=癒しの牧場)はネイティブアメリカンのナバホ居住区にありますが、この辺りでは野生のセージが至る所に育ち、それらを儀式や浄化に使うのがナバホの伝統。そのセージにちなみ、牧場に癒しと浄化をもたらす存在として、この子の名としました。

 

 



やがて元気を取り戻し、すっかり甘えっ子と化したセージハート

 

 

愛馬のサーシャともご対面

 

メス犬のサヴァンナは、ママ代わりとなって優しく包み込み・・・

 

夜になると、こうしてオスのバスターも一緒に家族団欒・・・

 

 

サヴァンナを始め、我が家の動物達は皆、虐待などの様々な過去を乗り越えて私たちと出会い、ここで幸せに暮らしています。

 

セージもまた、ちっちゃなアイドルとして、これから訪れる人々を癒してくれることでしょう!キラキラ

 

 

1度目のワクチン接種(宝石ブルー)から1ヶ月が経ち、2度目の予約日がやって来ました。初回時はナーバスだったものの、その後の副反応がなかったこと、また会場である高校の体育館の様子や接種の流れをすでに経験していたため、今回はリラックスして臨めました 照れ

 

宝石ブルー 1度目の体験談はこちら

 

知人(読売新聞・論説委員)の記事

 

 

午後4時の接種後、看護婦さんから「水を充分に飲んで下さい。また今回は1度目より副反応が出るかもしれませんが、その際はIbuprofenやTylenol(アメリカで一般的な痛み止め・風邪薬)などを摂って下さい」と言われました。

 

私より早い時期に2度目の接種を終えた主人には、注射を打った二の腕の痛みや微熱が出たので、私もそうした症状は予期しつつ帰宅・・・その夜はいつもとなんの変わりがなかったものの、深夜から悪寒と微熱、筋肉痛が始まったため、看護婦さんの指示通りの薬を飲み、翌日は安静に過ごしました。

 

翌々日にはそれらの症状が治り、元気も戻ってホッニコニコ

 

 

コロナワクチンの接種は努力義務ですが、ここアメリカでは未だにマスク反対者が多く、断固としてワクチンを否定する人々もいる中、一体いつになったらこの状態が収まるのかと気が遠くなることも・・・

 

日本もまた、ワクチンへの懐疑心が高いと言われる国、、、だからこそ、いち早く日本人として海外で接種した体験談をシェアし、少しでも参考にしていただければと思った次第です。

 

私自身、日頃は代替医療を好むほうですが、今回接種を選択した個人的な理由は以下の3つ・・・

 

1. アメリカでのコロナ罹患率の高さ、そして実際に友人知人が次々と感染し、中には亡くなった人達もいることから、「自分の身は自分で守らなければ」と切迫感を持った。

 

2. 今後 ”ワクチンパスポート”(国際的に通用するワクチン接種証明書。欧州連合(EU)、イスラエルなどで導入が検討中)が必要となった際、日本へとどこおりなく帰国(入国)出来るよう、今から最善を尽くしておきたい。

 

3. 私達夫妻がワクチンを接種したことで、「コロナが落ち着いたら、”ヒーリング・ランチ(Healing Ranch=癒しの牧場)”へ行きたい!」と言う人々に、安心して来ていただきたい。

 

との思いからでした。

 

 

標高2,000メートル以上の”ヒーリング・ランチ”では、まだまだ寒さが続きますが、それでも木々の蕾が膨らみ、その周りを蜂たちが飛び交い、確実に春が近づいていることを感じる日々コスモス 今日は快晴の中、いつものように愛馬たちと戯れました 馬 

 

 

 

いずれコロナが収束し、このブログを読んでくださっている方々の中にも、いつか私達の牧場でお会いできることを願いつつ・・・キラキラ

 

 

 

 

2020年の元旦を日本で迎え、アメリカへ戻った翌日のニュースで新型コロナウィルス感染症が中国で確認されたことを知った私は、成田からの機内で沢山のアジア人が咳込んでいたけど、マスクをしていたのは私を含めた数人の日本人だけだった。もっとマスクが一般化すればいいのに」と主人のポールに話しつつ、感染が中国から日本に広がらないことを願っていました。

 

ところがウィルスはあっと言う間に海を渡り、3月には当時住んでいたシリコンバレーにて突然のロックダウン発令 爆弾 アメリカ国内で初のロックダウンだったため、まだその意味すら分からず、街全体が騒然としたものです。

 

こうして、当たり前と思っていた私達の日常がガラリと変わって約一年。今や死亡者数は46万人以上に達し、罹患率が世界一となり果てたアメリカでは、友人知人の中にも、多くの感染者や亡くなった方達がいます。

 

コロナが蔓延しきったシリコンバレーでは、GoogleやFacebookなどの大手企業を筆頭に、ほとんどの会社がリモートワークを継続。そんな中で、私達はリタイアプランを早め、昨年ニューメキシコ州の牧場に越して来ました。

 

隣の家が遥か遠くに見えるような超ソーシャルディスタンスな環境下で、「これでコロナも縁遠くなる」と思いきや、周囲のナバホ・ネイション(ネイティブアメリカンのナバホ族の準自治領)にて大規模なクラスターが発生し、週末のロックダウンや夜間外出禁止令は今でも続いているほど。大家族がともに暮らすこの地では、一人が感染することで他の家族や集落一帯に広まってしまったのです汗

ナバホの友人との会話では、「スウェット・ロッジ(*)をして疫病を浄化する」と言う彼に、「この時期にスウェット・ロッジなどしたら、それこそコロナに感染する確率が高くなる」と忠告したほど・・・私達夫妻は彼らの自然や神を敬うライフスタイルを尊重するものの、今は現実的になるべき、と思ったまでです。(*ネイティブアメリカンの伝統的な「治癒と浄化」の儀式。小屋の中に集い、薬草の香気を含んだ蒸気によって発汗させ、心身を清める。)

 

 

何よりも、アメリカ全土がここまでウィルスに覆われてしまった原因として、トランプ前大統領がマスク着用を否定し続けたことで、多くの彼の支持者もまたマスクを拒み、ソーシャルディスタンスを保たずに友人や家族との集いを続けたことも大きいでしょう。

 

反して、バイデン新大統領は病みきった大国を回復させるベく、マスク着用の徹底を始め、就任当日からコロナ対策の抜本的な改善と強化を進めています。

 

そして始まったワクチンの接種。医療機関勤務者、65歳以上、学校関係者、持病のある人々などが優先され、それ以外の人々が接種のために徹夜で並んでいる州もあることから、私の番がまわって来るのはずっと先になるだろうと思いつつ、念のため早めにオンラインで申し込みを済ませることに・・・

 

めったに病院に行くことはなく、日ごろ薬も飲まず、抗生物質へのアレルギーもある私は、前回インフルエンザの予防接種をしたのがいつだったか記憶にないような状態・・・コロナワクチンの副作用も心配でしたが、「今はそれよりも国民が一丸となって感染を防ぐことが大切!」と思い、今回ばかりは迷わず接種を決めました。

 

すると予想より遥かに早く予約日の連絡が入り、一昨日接種に!

 

 

場所はギャラップ高校(Gallup High School)の体育館。

入口まで長蛇の列でしたが、あっと言う間に進んで中に入れました。

 

 

迷彩服を着た沢山の軍人さん達が、医療チームのサポートとして働いています。

 

 

 

注射は「え?もう終わったの?」と思うくらいに痛み無し。

その後は副作用などが出ないことを確かめるまで、椅子に座って15分間待機。

 

軍服姿のカッコいいお兄さんが、

一人一人に「具合はどうですか?」と優しく声をかけて回っています。

 

 

 

体育館の天井には、星条旗とニューメキシコ州の旗 アメリカ

 

 

携帯に、「15分が経ちました。2回目の接種日は一ヶ月後です」

とのメッセージが入り、晴れて終了!

 

 

2日後の今日、注射を打った二の腕がほんの少し痛む以外は、心配していたような副作用も全く無くホッとしています。

 

どうか一日も早くこの事態が収束し、穏やかな世界が戻りますように・・・

 

そして誰もが気軽に街や国境を越え、愛する家族や友人達と会える日が来ますように・・・🙏

 

*1ヶ月後:2回目接種終了の体験談はこちら

 

「The Most Consequential Election In A Lifetime(一生で最も重要な選挙)」と呼ばれた大統領選挙の結果に光がさした夜・・・当選が確実となった次期大統領のジョー・バイデン氏と、副大統領のカマラ・ハリス両氏のスピーチを生中継で見入っていた私とポールは、この4年間の苦痛が癒されていくのを感じました。

 

出典:Olivier Douliery, AFP/Getty Images   

 

 

1920年にアメリカ合衆国憲法の修正により、女性参政権が認められて100年の節目である2020年、女性として、さらには黒人、アジア系としても初の副大統領に選ばれたハリス氏が、私が今ここにいるのは、19歳でインドから米国に移住した母をはじめ、何世代にもわたり、自由と平等、正義のために闘い続けた黒人、アジア系、白人、ヒスパニック系、ネイティブアメリカンの女性達のおかげです」と唱えた瞬間、私の目には涙がにじみ・・・

 

そのハリス氏のお母様は、ポールと同郷のインド・チェンナイ。1987年にインドからアメリカへ移住し、米国籍を取得した彼もまた、ハリス氏を出馬当初から応援していました。

 

出典:Drew Angerer/Getty Images

 


続く演説内で「Time to heal America.(アメリカを癒す時が来た)と説いたバイデン氏の言葉は、アメリカの誰もが必要としていたメッセージ。選挙では敗北したトランプ支持者達もまた、あらゆる意味で国家の安定を願っているはず。

 

まさにこの4年の間に、荒れ狂う大海で難破船と化したアメリカ・・・その予兆は、トランプ氏が大統領に就任した直後から個人の生活レベルでも感じていました。

当時、ポールの妹の介護のために一時的に住んでいたアメリカ南部のジョージア州は、かつて奴隷制によるプランテーション(大規模農園)で栄えた土地。都市部以外では今でも当時の面影が色濃く残り、広大な綿花畑を背景とした白亜の豪邸を見ることも。そうした地域では白人と黒人の居住区も異なり、彼らが共に行動することはほとんどありません。

 

そんな4年前、年始を日本で迎えたのち、成田からアトランタ空港に到着した際のこと・・・

 

白人男性の入国審査官に「Why your passport is not blue yet?(なぜ君のパスポートはまだ青じゃないの?)」と冷たい口調で問われ、一瞬「え??」と思ったものの、「あぁ、アメリカの永住権を取得して10年経つのに、まだアメリカ国民(=のパスポート)になっていないことを責めてるのね」と理解し、「日本には家族がいるから、こうして日米の往復をしている。米国籍を取得したいところだが、日本は二重国籍を認めていないため、まだ踏み切れていない」と答え、審査官は面白くなさそうな表情で赤いパスポートを返してくれました。これまでそんな問いかけをされた経験のない私が、移民に対する視線が厳しくなりつつあることを実感した日。

 

加えて、KKK(クー・クラックス・クラン:白人至上主義団体)がトランプ大統領就任を祝うパレードを各地で行うニュースが流れ、「嫌な時代になって来た」と背筋が寒くなったものです。

 

 

そしてついに2020年。当初はアジアで猛威を振るうウィルスを対岸の火事のように見ていたアメリカは、急速にコロナ大国と化し、警官による度重なる黒人殺害を発端とした抗議デモは各地で暴徒化。白人至上主義者達が大手を振る中、南北戦争時のようなCivil War(内乱)が起きるかもとの声を耳にするようになり・・・

 

さらには、トランプ大統領がコロナを「中国ウィルス」と呼んだことでアジア人差別が起こり、被害を受けた日本人の友人家族もいたほど・・・私もまた、万が一を考慮し、これまで一人で出かけていた買い物などにもポールが同行するようになりました。

 

追い討ちをかけるように、前代未聞のハリケーンや山火事などがアメリカ各地を襲い、国中が閉塞感と恐怖で覆われた中で迎えた選挙。

 

私自身はバイデン氏の勝利を心から望んでいたものの、友人知人達の中にはトランプ支持者も多く、アジア人への差別や暴行が続く中では、SNSなどでの選挙に関する発言は控えていました。

 

そんなある夜、バイデン氏が勝利し、「この国と国民を癒す」と演説する夢を見ました。目覚めた後、「これが正夢になればいいけれど、トランプ氏と支持者達の勢いを、果たして温厚な彼が止められるだろうか?」との心配も消えず・・

 

実はオバマ氏が大統領選で勝利する以前も、私はポールに「アメリカは、黒人が大統領になるほど成熟した国ではない」と話していたにも関わらず、ある夢を見ました。夢の中では、飛行機に私を含めた人々が乗り、ゼリー状の土地に到着します。するとオバマ氏が現れ、「心配しないで。私が大統領としてリードしますから、ついて来て下さい」と言い、私達は飛行機からおそるおそる出てゼリーの上を歩き始める、、そして数日後の結果では、オバマ氏が当選した次第です。

 

こうした予知夢を見るのは、夢では私のエゴや頭で考える思考が消え、すでに現実になりつつある集合意識(アメリカ国民の集合意識)にアクセスするからでしょう。

 

 

かくして、癒しへの大きな一歩を踏み始めたアメリカ宝石ブルー宝石ブルー宝石ブルー

 

あまりにも多くの課題が新大統領を待ち受けていますが、オバマ氏のスローガン「Yes, We Can!」を演説に引用したバイデン氏をサポートすべく、今こそ分断した国が一体となる時。

 

 

最後に、魂に響いたカマラ・ハリス氏の言葉をお届けします。
 

”Now the real work begins.

To beat this pandemic.

To rebuild our economy.

To root out systemic racism in our justice system and society.

To combat the climate crisis.

To heal the soul of our nation.

The road ahead won't be easy. 

But America is ready. And so are Joe Biden and I.”

 

”さあ仕事が始まります。
コロナに打ち勝つ。

経済を立て直す。

制度的人種差別を根絶する。

気候変動と戦う。

この国の魂を癒す。
道のりは決して楽ではありません。

でもアメリカはその準備ができています。ジョー•バイデンと私も。”