予言と預言

先日、4月26日の大災害の話を書いたところ、突然アクセス数がいつもの倍に跳ね上がって驚きました。

 

どうやら「4月26日 予言」などの単語で検索をするとこのブログがトップ画面の上位に表示されるようになっていたみたいです。

ということを、翌日「4月26日の大災害予言って、一体何人くらいの人が言っているんだろう」と思い、検索をかけて知りました。

 

そんなにこの予言について知りたい人がいたのかと、ちょっと驚いちゃいましたよ。

 

 

ただ、初めて私のブログを(そのページだけ)読んでくれた方々は、私が長年にわたり被災地にボランティアに行き、現地を見て、実際にどうするのがいいのかを考え、必要なものを備蓄したり警戒したりするよう書いてきたことは知らないんですよね。

そこは「うう~ん…」となってしまう部分でした。

 

 

ぶっちゃけ、私は「オカルティスト」です。

これに関してはもうずっと言ってきましたし、その歴は40年以上です。

 

子供の頃に見てはいけないものを見てしまってから「不思議なもの」全般に興味を持ち、

アカシックレコードの第一人者であるゲリー・ボーネル氏のセミナーに行ったりレイキのアチューンメントを受けたり、バシャールの公演に行ったり、それはもう色々と首を突っ込んできましたチュー

 

そんな私がそれほどオカルトを追いかけなくなったのは、ある日ふと

この世の中は、起こり得ないことなど何もないんだ」

と理解したからです。

 

この世の中は不確かで、どんなことでも起こり得ます。

金持ちになりたいと思えば金持ちになることも可能だし、悪いことをする自由も、良いことをする自由もあります。

 

やっちゃいけないことはあくまで人間が決めたことで、その気になればどんな悪いことも出来るんです。

 

問題は、その自分の行動はどのような「波」を立てるのかであり、それらの動きは全て精巧に作られた蜘蛛の巣のようにつながっています。

 

その「世界の仕組み」を理解してしまえば、それ以外のオカルトは些末なことだったのです。

 

 

なので、それを理解した後はどんな不思議な出来事であっても「そういうこともあるよね」と流すようになりました。

 

 

でも、どんなことでも起こり得るとはいってもオカルトの全てが事実というわけではありません。

世間で「オカルト」と言われていることの95%は、人間の「誤解」「見間違い」「勘違い」「思い込み」「注目を集めるための噓」「商売としてのインチキ」「錯覚」「幻覚」「脳や認知機能の異常」などで説明がつきます。

もちろん本人は真実だと信じているのかもしれませんが、第三者から見ると明らかに違うと説明がつく現象です。

 

ただ、どうしても説明のつかない異常な現象は5%ほど残ります。

これが厳密にいうところの「オカルト」だと私は思っています。

 

私は20代前半頃、UFOを見たことがあります。

それも、夜空を物凄いスピードで跳んでいく発光体というようなものではなく、真昼間に(土曜日のお昼ごろ)私の5メートルくらい前方で3メートルくらいの高さを、物凄い低速でヘロヘロヘロヘロと飛んでいく伏せたスープ皿のような形の銀色の小さな物体です。

 

もちろんドローンなんて存在もなかった時代です。

プロペラも何もついていないスープ皿がヘロヘロヘロヘロ飛んでいくのは絶対にありえない光景なのに、なぜかその時私は「まあ、こんなこともあるよね」と気にすることもなく少し離れた木の陰に消えるのを見ていたものでした。

 

この話は何度も人に話しているのでハッキリ記憶に残っているのですが、夜空の発光体と違い、昼間に手が届きそうな距離で、人間が歩くより遅いスピードで飛んでいた銀色の物体ということで、見間違いや錯覚ではありえない経験だと思いました。

 

なので、人間の、人知の及ばない現象は確かにあるということは信じていいんです。

 

ただ、嘘や錯覚や見間違いで説明できることも大変多く、かつてはオカルト写真と思われていたものが今ではカメラの光学現象だと説明がつくようになったものも数多くあります。

 

 

 

 

そんな中、最近は「あやふやな情報で人心を惑わすようなことをしてはいけない」ということで、テレビでオカルトを取り上げることはほぼなくなりました。

 

でも、テレビが取り上げなくなっても人が「オカルト」を信じなくなったわけではなく、その主戦場はYouTubeやSNSに移動しただけです。

 

しかも、最近はアクセス数がダイレクトに収入に直結するので、YouTubeなどではセンセーショナルな言葉を並べた切り取り動画が氾濫しています。

4月26日の予言だって、昔だったらさほど広まらずに終わったかもしれないことが、ネットで広げられたことでいかにも事実であるかのように拡散されたんでしょう。

 

ほとんどがアクセス稼ぎの動画なので、大袈裟にセンセーショナルに言いきって、見た人間を不安にさせたもん勝ちなんでしょうね。

 

こんな場末のブログにまで検索して辿り着く人がたくさんいたんですから、YouTuberの方々にとってはオイシイネタであることは確かなんでしょう。

 

 

 

まあ、終末論は宗教の鉄板ネタですし、人間は不安になると自分というものを簡単に見失いますからね。

 

それは福島の原発事故の時やコロナワクチンの騒動を見ればわかりますよね。

 

 

 

で、40年以上前からオカルトに首を突っ込んできた私が理解していることとして、予言にはある種のパターンが存在すると思っています。

 

それは、被害にあう地域が大きくなって対象人数が増えれば増えるほど予言は当たらなくなる、ということです。

あと、災害が起きる時期を「〇〇年〇月」とか「〇〇年の夏」と書くのはまだいいとして「〇〇年〇月〇日、〇時〇分にどこどこに大津波が来る」といった細かすぎる予言は当たらないということです。

正直、日時まで決まっている予言が過去に当たったという実例を、私は見たことがありません。

 

目の前にいる個人をリーディングして、細かなことを当てられる優秀な霊能者であっても、大勢の人間の災害のビジョンというのは正確には分からないものなんです。

本人は明確なビジョンとして見ていたのだとしても、対象人数が多く地域が広範囲の場合、1人1人の意識が少しずつズレていき、やがて大きなズレになってビジョンが変わっていきます。

 

個人リーディングには偉大なる功績を残したエドガー・ケイシーも、社会全体の予言はほぼ全滅だったようですし、あの、ケネディ大統領暗殺を予言したとされる有名なジーン・ディクソン女史も、当たったと確実に証明できるのはケネディ暗殺事件のみだったようです。

 

星の動きは変わらないので占いというのはそれなりに実績があります。

それでも詳細に当たるわけじゃありません。

 

ましてや漠然としたビジョンだけでは、その日時になる前にどんどん事象はズレていくわけです。

なので、大勢が巻き込まれる災害を細かく予言されればされるほど、それは時間と共に起こらなくなると、私はそう解釈しています。

 

 

でも、目の前の依頼者を集中してリーディングした場合はもっと明確に見えるしズレも少ないと思うので、予言をされた方の能力を馬鹿にする気はありません。

というか、私もかつてサイキックの方にリーディングしてもらったことがありますが、海外の先生は結構当たっていましたからね。

 

 

なので、いつも書いている通りではありますが、いつ何が起きるかわからないということを肝に銘じて、災害の備えはしていきたいなと思います。

 

 

 

あ、そうそう。

予言と預言という、字の違うふたつの「よげん」がありますが、霊能者などが「~が起きるぞ」というのは予言の字を使います。

これは「天気予報」や「競馬予想」と同じ、誰かが予測したことを言った場合は「予言」となるわけです。

 

株のトレーダーが膨大なデータを駆使して値上がりする株を発表しても、それは「予言」と言っていいんです。

 

 

で、「預言」の字を使うのは、神様が誰かに伝えた言葉を指します。

神より預かった言葉なので「預言」です。

「聖書」や「ファティマの預言」「日月神示」などは「預言」扱いです。

 

まあ、頭では分かっていても同音異句はほぼ気にしないで書いてきたので(笑)過去記事も色々間違って書いているでしょうね笑い泣き

 

あ、これは予想?てへぺろ

 

 

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一部のネット民に「東京壊滅の日」とささやかれている4月26日が近付いてきました。

果たして大災害は起きるのでしょうかてへぺろ

 

というか、すでに4月16日あたりにも大災害の予言があったと記憶していますが、これはあれですかね?15日にあった長野県の地震の予言だったんでしょうかね。

東京が壊滅するような災害ではありませんでしたが、地震はあったと言えばあったので、これは当たったと言っていいのしょうか口笛

 

まあ、確か2月頃にも同じような大災害の予言があったように思うんですけど、どうなったんでしょうかね?

 

とりあえず災害の予言がどんどん外れていくのは喜ばしいことです。

 

 

 

まあ、4月26日の予言についてはそれほど多くの人が言っているわけではないので、ちょっと心に留めておくだけでいいと思います。

私はその日は病院の予約が入っていますが、あの病院は確か免震構造だったはずなので(笑)とりあえずリスクは低いですし照れ

 

 

しかし、7月5日の予言については本当に色々な方面の方々が「大災害発生!」「首都圏壊滅!」「南海トラフ地震と富士山の爆発が連動する!」と連呼しています。

 

私的には、「4月26日に何にもなかったら7月5日もなーんにーもないさーグラサンと考えているんですが、まあ色々な方面で「少なくとも夏には災害が起きるんじゃないか」とされていますので、そこは用心だけはしておきたいなと思います。

 

占星術的には7月の星回りが東日本大震災の時と同じになるとか、8月には「惑星直列」が発生するから災害が発生するとか、まあ色々言われています。

 

今年は「ノストラダムスの大予言」で大騒ぎした1999年と同じ「惑星直列」が起きるんですよね。

惑星直列は、それぞれの星の力が一直線に引っ張られるということで占星術的には良くない星回りとされているようなんですが、そうは言われても1999年に何も起きなかったことをみんな記憶してますからね。

それはそんなに恐れなくてもいいと思います。

 

 

今年はミャンマーの大地震もありましたから用心するにこしたことはありませんが、少なくても日本の人口が半分以下になるような、そんな自然災害は起きないと私は思っています。

 

それよりも、私が気になるのはその災害の後の話なんですよね。

 

それは、どの予言者も判で押したように「この災害を乗り越えた日本は、その後輝かしい最高の時代を迎える」と言われているところなんですよね。

 

「人口が激減したその先に最高の時代が来るってどういうことじゃい」って思うわけですが、その予言ってもしかして、人間の世界の物理的な災害ではなく、もう少し別の意味での災害のことを指しているのかもな?とも思うようになりました。

 

 

これは漠然としていて私もまだイメージできていないんですが、今、トランプ関税で社会が揺れに揺れているじゃないですか。

トランプ大統領は他国に対しての貿易赤字を解消すべく関税を持ち出したと言われていますが、全体を見ないでそんなバカ…もとい、大胆なことをやったことで、自分が予期していなかった問題が発生してるんですね。

 

それは関税だの貿易赤字だのの問題ではなく、アメリカドルが基軸通貨の座から転げ落ちる可能性が出てきたってことなんですよ。

 

アメリカの極端なやり方に反発した国が、一斉にアメリカの国債を売りに出しているとささやかれていますが、これがアメリカの経済的信用の低下を招いているみたいなんですよね。

他国の国債を持っているというのはその国に信用があるという証拠なんですよ。

それを大量に売りに出されたら、アメリカ国債の信用度が下がりアメリカ国債の信用が下がったらドルの信用も下がる…。

 

そうなると基軸通貨としてのドルの信用がなくなるので、国際社会は国際取引を円滑に行うべく他の基軸通貨を探さなくちゃいけない…。

中国は人民元を基軸通貨にしたくて頑張っていますが、意外と人民元は出回っていないんです。というか、いつ経済破綻するかわからない状態の国の通貨を基軸通貨になんてできるはずがないです。

 

22年度の通貨シェアは、米ドル44%、ユーロ15%、日本円8.3%、英ポンド6.5%人民元3.5%なので、もしもドルが基軸通貨から転がり落ちることがあったら順当に行けば次の基軸通貨はユーロです。

でも、安定資産と言えば日本円と言われていたくらいなので、日本円のシェアが伸びていかないとも限りません。

 

つまり、大災害というのは地震で建物が崩れるとか人が死ぬとかではなく、基軸通貨がドルから他の通貨に変わり、それによって日本は経済的な発展を遂げると、そういう世界線の話かもなと、そんなことをつらつら考えたりしています。

 

現実逃避?

やっぱり?爆  笑

 

 

まあ、基軸通貨のことを知りたい人はそれを専門でネットでお金を稼いでいる方々のサイトを見てもらうとして、私が言いたいのは

「今年も地震や水害など色々な災害は来るだろうけど、日本の人口が激減するような、そんな巨大な災害は起きないと思うな」

ということですね。

 

もちろん、能登の地震のように被害範囲が狭くても厳しい災害に見舞われることもあるので、備蓄をしたりの用心は大切なんですけど、日々怖がって生きるのもまた違うなと私は思うわけです。

 

 

世の中には「親族一同で被害が少なそうな北海道に移住した」とか「食料が手に入らないことを想定して畑付きの田舎の家を購入した」とか、結構マジですごい行動を起こしている人がいますよね?

うちの姉ですら「あなた7月5日はどうするの?」とか言っていますからね(笑)

 

でも、1999年の時も何もなかったでしょ?

あの年は「ノストラダムスの大予言」と「コンピューターの99年問題」「ミレニアム」「惑星直列」と色々なネガティブ要素があったわけですが、とりあえず平均的な1年でしたよね?

 

なので今年もきっとそういう1年になるんだと思います。

 

そもそも十二支の中では巳年は災害が少ないはずの年なんですから。

そこはあまり深刻に考えず、停電が起きた時のLEDランタンを購入するとか、非常用のトイレを用意するとか、備蓄食料を買っておくとか、そのくらいの「いつもの用心」でいいと思います。

 

あまり深刻には考えず。

でも日常的な用心は怠らず。

 

ですね?

 

 

 

 

え?

はぁ?

霊能者の下ヨシ子氏が「6月に南海トラフ地震が起きる」と言ってるって~?

 

本当に、大災害が来るのはいつなんだ~い!

 

って話だよね~えー

 

 

 

 

以上

 

 

 

 

 

怒りの拡散

最近、SNSが広く普及してきたことで、一般人の些細な「感情」までネットの海に流れるようになってきました。

 

 

先日は今年のFaOIにロシア人スケーターが出演すると発表されたことで、チケットを購入された方がずいぶん怒りの声を上げていました。

私個人は、スケジュールが出た瞬間に結弦くんの出演は無いと判断して今年のチケットは取っていなかったんですが、チケットを入手した方々の中にはロシアは絶対許すまじという方もいて、そういう方々にとってはどうしても許せないものがあったようです。

 

中にはかなりきつい言葉で運営を糾弾していた人もいましたが、でもこれはCICだけで判断できることじゃないのはわかりますよね?

 

去年の12月にISUが、国籍を表記しないことでロシアのオリンピック参加を認めると発表していましたし、先日もテレ朝(だったかな?)がトゥトベリーゼコーチの特集を組んでいましたからね。

 

この流れを見る限り、ISUはロシア選手を少しずつ試合やショーに出していきたいんでしょう。

 

ロシア選手は華があるので集客を期待しているのか、そもそもISUの中にガッツリロシア人が入っているからなのか…。

そこはわかりませんが、とにかく流れ的には今は「ロシア人を出して様子を見ている」という状況なんじゃないでしょうか。

 

日本のスケ連がISUに意見できるとは思いませんし、FaOIというかCICは現役スケーターをショーに出すことでスケ連に逆らうことが出来ない立場です。

しかもFaOIはもともとヨーロッパと繋がりが深く、ロシアのスケート関係者ともパイプがあります。

 

今、日本でロシア人スケーターが出られるのはCICが取り仕切るFaOIかDoIしかないと思うのですが、とりあえずFaOIで様子見するつもりかな?と、私はそのように見ていました。

 

 

ただ、私はFaOIが今のまま続くとは思っていないんですよね。

これからも今までと同じように続けるつもりなら、せめてあと1ヵ所くらいは別の会場でやると思うんですよ。

それが幕張だけということだったので、これは複数年で契約していてその契約がまだ残っていたのかな?と思ったわけです。

 

そこは私がわかることではありませんが、とりあえず怒りをネットにばら撒いたところで、私たちがどうすることも出来ない事情があるのかもしれないということも頭の片隅には入れておくべきだと思います。

 

まあ、ロシアは絶対に許しません!という方は、アメリカ主体のSOIなどは大丈夫かもしれませんが、今までロシア人スケーターが参加したことのあるショーは用心した方がいいかもしれませんね。

 

 

 

で、私個人の感想を言わせてもらうと、私はスケーター個人に怒りは持っていません。

なので、もしチケットを取った後にその発表があったしても「あ、そうなんだー」くらいで「絶対に許しません!」とはならず、普通に見に行くと思います。

 

「ザギトワはプーチン支持者だ!絶対に許すな!」とも思っていません。

あの国でアスリートとして生きていこうと思ったらプーチンに背中を向けることは不可能でしょうから。

あの大谷くんだってトランプ大統領と笑顔で握手してるんですから、その国でアスリートとして活動をする以上、国のトップに逆らうことはできないのです。

 

ま、プルシェンコほどプーチンと近しくなってしまった人は当面避けた方がいいと思いますけどね。

 

 

なんであれ、表面的なことだけを見て、他人に対し「失望した」「裏切られた」「もう絶対に許さない」的な言葉を拡散するのはやめた方がいいと思います。

言葉の毒は黒い霧のような怒りとなって言った人を包み込みます。

 

なにか理解できないことが起こった時は、すぐに怒りの感情をネットで拡散するのではなく、「どうしてこうなったんだろう」と少し考えてみることも必要だと思います。

 

意図しないこと、理解できないことが起きた時は、まず解決策を探すことも必要だということです。

 

 

 

そういう意味では最近ネット記事になっていたホリエモン氏の発言なんかいい例になりますよね。

堀江氏がタクシーに乗った時、どうやらタクシーのドライバーが道をよく理解していなかったんだそうで、それに対し「なんで金払ってるこっちが道を教えなきゃいけないんだ」とイライラしたことをSNSで上げていました。

 

私に言わせると、本当に、日常のどこにでも転がっている些細なイライラですよ。

にもかかわらず、まるでそれが社会の関心事のように、SNSだけではなくネット記事でも拡散されていったわけです。

 

ぶっちゃけ「っどーでもいい!」話です。

 

そのイライラを解消する方法は簡単なんです。

お金持ちなんですから、自分専用の運転手付きの車を用意するか、自分で運転すればいいんです。

 

それを誰とも知らない赤の他人の車に乗り込む以上、ある程度の不愉快さは許容するしかないんです。

 

そんな些細なことを怒りとして拡散する。

そしてそれらの記事を読んだ人間がまた「そうだそうだ」と怒りの反応をする。

そこに見られるのは「怒りの拡散」です。

 

 

とはいえ、怒りの感情はもっともアクセス数を稼げるんですよ。

なのでアクセス数でお金を稼いでいる人たちは簡単に「誰かを悪者にする」ことでお金を稼ごうとします。

そういう人達にとってはトラブルも大歓迎なんです。

 

でも「政府が悪い」「財務省が悪い」「あの店の店員の態度が悪い」「親が悪い」「ママ友が悪い」「教育が悪い」こんなことをネットで拡散して世界が変わりますか?

 

 

かつて「保育園落ちた日本死ね!!」と書かれたSNSが大きな問題になりました。

確かにセンセーショナルな言葉でメディアでも大きく取り上げられましたが、それで日本から待機児童が消えたかというと消えていませんよね?

 

一部、経済的に余力のある自治体が高給で保育士をかき集め、一時的に待機児童をゼロにしたみたいですが、それでもすぐに元に戻りました。

待機児童がゼロになると、子供のいる家庭は「子供を預けやすい」と判断してその町に引っ越しをするからです。

 

多くの市町村が保育所の新設を計画しましたが、新設しても保育士が集まらないため上手くいかないところも多かったようです。

建物があっても保育士がいないのです。

 

毎年保育士の学校から新しい保育士が卒業しますが、同じように辞めていく保育士もいます。一昔前に比べ、親とのトラブルも後を絶ちません。

ぶっちゃけ、自分の要求が通らなかったら「日本死ね!!」なんて誰が読むとも分からない場所に書きなぐる親がいるんですよ。

自分の子供に何かあったらどんなことを言って来るか、なんとなくイメージできますよね?

 

ふるさと納税で自分が住んでいる市町村から税金がどんどん流出していくことも深く考えていないんです。税収が減れば行政サービスが悪くなるのは当然です。

保育所は作れない、作れたとしても人が集まらない、今ある施設は常に人手不足、人手不足だから事故も起きる、事故が起きたらその園は閉鎖になる、また子供たちは行き場を無くす…。

 

全てのことは大変複雑に絡み合っていて、怒りを拡散したところで簡単に解決できることではないんです。

目の前の問題をどうすれば良くすることが出来るだろうと根本的な解決策を探していかないと、結局時間がたつと同じことの繰り返しになってしまいます。

 

怒る前に考えてみりゃいいんですよ。

ホリエモンの怒りは分かりやすいですが、自分がその仕事をその料金で引き受けた場合どう感じるかをイメージしてみればいいんです。

理不尽に怒りをぶつけられたらやってられないですよね?

 

明らかなミスなら注意も必要ですが、自分の考えと違うとか要求が通らなかったとか、そんなことで怒りを拡散するのは意味がありません。

むしろその怒りは毒ガスのように自分と自分の周囲を害していきます。

 

自分の仕事だって完璧だと言えないかもしれませんし、それに対し悪意を向けられたら悲しいですよね?

だからせめて「それはどうしてそうなったのか」を考えて理解する。

それが大切だと思います。

 

 

人間、本当に怒らなければいけないのは、人としての尊厳を踏みにじるような行動をとる相手に対して、です。

 

自分に関係ない誰かの怒りに巻き込まれてもいけません。

他人の怒りに便乗して怒りをまき散らしたところで自分を傷つけることになるだけです。

 

 

人間だから全く腹を立てずに生きるというのは不可能ですが、それを世間にアピールするのは別問題です。

最近の世の中は、個人的な、どうでもいい怒りで社会が覆われてしまっています。

本当に目を向けなければいけないのはもっと別のことだと私は思います。

 

FaOIのチケット問題も、不満があったら運営に意見するのはいいと思いますがそれを怒りとして拡散するのは違うと思います。

問題ありとして解決策を求めるのはいいと思いますが、誰かを罵倒するようなことを書くのは自分の品位を下げるだけです。

 

 

世の中は、私たちに見えている部分よりもずっと複雑に絡み合って動いています。

 

問題提起と怒りは全く違います。

疑問を持つことと怒りは全く関係ありません。

 

怒りは拡散しない。

それだけで、この世界がほんの少し優しくなれるような気がします。

 

 

まあ、ちょっとイライラしたことがあったら、安住紳一郎氏の「日曜天国」を聴いてみるといいですよ。最近はYouTubeにもいっぱい流れています。

余りのばかばかしさと、生きている人間の面白さに少しだけ気分が明るくなること請け合いです。

 

人生は「まぁいっか」で生きるに限りますよ。

 

 

 

 

以上