多事争論(時事所感) -44ページ目

防災・減災・免災 【時事所感50】



9月27日であの御嶽山噴火から一年。

多くの犠牲者を出す噴火災害となってしまいました。






御嶽山噴火をはじめ、
東日本大震災や広島集中豪雨土砂災害、最近では鬼怒川洪水など
こうして自然災害を目の当たりにして、
自然の猛威、その力を前に
人間は如何に弱く無力なのかということを思い知る感じがします。


また私たち人間は自然災害への姿勢というか向き合い方において
何か間違ってはいないか、
何か錯覚というか勘違いしてないか、

そう感じることがあります。
 

日本においていえば、
歴史のなかに天災・自然災害の記録は沢山あって、
遠い歴史に遡れば
シャーマニズム・神道があって、
天という自然の神を崇め
災いを治めようとする。

時代は流れ知識や技術が進んでいくと
防災という考え方が生まれ、
自然災害を防ぐために
積極的にこれに取り組むようになる。

氾濫の多い河川には土手や堤、
貯水池・溜め池を周囲に造り
支流・水路を造り足し、
大掛かりなものでは
河川本流自体を人の手で造り変えることもあった。

さらに時代が進み
ダムや近代的堤防が造られ、
防波堤など護岸整備が施され、
台風や地震には頑丈な建造物が建てられる。

人間の高度な技術が発達すると
防災から災害予測・予知という考え方に
変わっていく。
陸地、海上や海底、宇宙衛星などの観測機器などで観測、
変化や予兆を捕らえ
そこから天候や地震、火山噴火を予測・予知しようと試みている。





人類の英知や科学技術に溢れ囲まれて暮らしていて、
天気予報や地震警報、津波注意報や津波到達時刻の予想も
知らず知らずのあいだに
私たちは自然の力に追いつき
自然災害をも乗り越える科学と技術を
持ち始めているような
そんな錯覚に陥ってしまっているように感じます。

そのことに気付かされたのが、
先の東日本大震災であり、広島集中豪雨や御嶽山噴火だったと思います。




東日本大震災の時、
「予測出来なかったのか」
という声が上がっていました。

地震分野の研究者や識者は
こんなことをおっしゃっていました。

「今までの地震研究では予算や科学技術的な観測データにも限界があった。
科学技術が歩した今、地表や海上、海底そして宇宙からも観測できるようになった。東日本大震災は人類史上初めて多角的観測がされた地震です。こうした観測データや研究の積み重ねが確率や精度を上げていく。本格的な多角的観測や研究は始まったばかりと言える。」







こうして考えてみると、
大雨や地震、火山噴火といった自然の脅威を予測・予知がまだ十分出来ない、
現時点では限界であれば、
私たち人間は自然災害についての考え方、自然との向き合い方を考え直さないといけない。

最近そうした考えから、

「防災」から「減災」そして「免災」

という言葉、考え方が出てきています。

自然災害を未然に防ごうという「防災」の考え方も、
有効性はあるけれども、
皆さんご存知のように
実際には人間の想定を超える自然の猛威、災害はしばしば起きてしまう。

そうした自然災害の経験から
新たに「減災」という考え方が出てきて、
災害は起きてしまう、これを前提に
その災害規模や被害を少しでも減らすための備えをしようと。

そこから更に考え出されてきているのが
「免災」という考え方で、
自然災害で最も財産や人命の被害を受けるのは住民であり、
災害そのものから少しでも免れるための備え方などで、

東日本大震災についていえば、
震災後津波被害からの街や村の復興計画の段階において、
津波被害の起きる低地には商業地、
学校や住宅地は高地に設ける
といった内容で、
実際にこうした復興計画を進めている市町村があります。



御嶽山噴火の話に戻せば、
火山噴火の予知・予測というのも
明らかな噴火予兆が観測されるものを除くと、
御嶽山噴火のように
登山者が避難することさえ難しいケースがあるわけで
一時避難用の防空壕やシェルターのようなものや
救助捜索活動時に仮設置した短いトンネル状の厚い鉄製の避難設備など
早急に整備したほうがいいし、
登山者へも緊急時行動マニュアルなどを再度内容を検討し用意したほうがいいと思います。





自然災害は起きてしまうものだ、
そうした考えを予め持っておいたほうがよいのではないでしょうか。

「減災」そして「免災」という教訓が活かさなければならない。
こうした先の災害での犠牲者の方々からのメッセージだと思います。

多くの人々の生命と財産が関わる話、
「想定外でした」
で済ませられる話ではありません。
















米中衝突の本気度【時事所感49】

最近世界中の主だった出来事を並べてみます。


「日本人二名ISに人質」

「ギリシャ財政破綻か」

「中国主導でAIIB」

「韓国対日政策軟化へ」

「上海株下落」

「欧州各国難民受け入れ困難」


上げればきりがないのでやめます。



これらの出来事の根底の部分に共通するものがあります。


「マネー」「お金」です。

 
世界中で起きてる出来事というのは
必ずといってよいほど
何かしらの形でお金が絡んでいる。

この点に気付いている方々は
ある問題について懐疑的な見解を示しています。


「米国と中国は本気で軍事的正面衝突はしないのではないか」


先の大戦の時代のように
植民地政策全盛で我先にと争うのとは違うし、
東西冷戦のイデオロギー対立によって
世界が分割していくわけでもない。


差し迫って米中が軍事的衝突をしなければならない事象や理由が
現在のところ見当たらない。


米国と中国が武力行使する正面衝突が
起こる可能性が0%というわけではない。

偶発的な一部地域での軍事的衝突が起きてしまう可能性もある。


しかしながらリアリティを持って
米中軍事的衝突が起こる可能性はないのではないか。



理由は経済的損失、マネー。

世界第一位の経済大国米国と第二位の中国、
その軍事的正面衝突は世界経済に及ぼす影響や損失、
勿論米中双方にも経済的損失は大きく、
軍需産業は潤っても全体としては
マイナスな部分が大きい。


両国は牽制しあうこともあるし、
万一軍事的衝突が起きたときのための
軍備展開もあるけれども、
結局のところは戦争が起きないように
両国が動くだろう、ということ。







但し米中両国のあいだにある懸案には
注意を払わないといけない。



一つに台湾の問題。

ロシアのクリミア編入のように
中国による台湾侵攻のようなことが起きたとき、
独立国家として正式に認められていない台湾を
国際社会や米国はどうするのか。


もう一つとして
チベット・ウイグルの問題があります。
人道的問題としてこの弾圧行為に 
国際社会の視線が注がれたとき、
中国に対しての経済的制裁などの事態は
あり得るのか。
中国は態度を硬化して東や東南アジアの安全保障体制が崩れたとき、
米国はどうするのか。


そしてもう一つ、
日中軍事衝突です。

尖閣諸島や東シナ海ガス田や海上プラットフォーム施設など諸問題を引き金に
日中軍拡競争らしき展開になった。

これも偶発的軍事衝突の拡大を回避するための日中間連絡網設置の協議を始めているけれど、
仮に日中間で軍事衝突が勃発したら、
米国は中国に対してどう対処するのか。






米国が中国相手に戦争を起こすつもりはなくとも、
同盟国を含む外的要因によって
米中衝突は起こる可能性は否定はできない。


中国も同様に米国相手の戦争は得策ではないことは承知していても、
チベット・ウイグルや台湾の独立など
認めることはできないし、
眼前に広がる海底ガス田は国益として
確保したい。

現状のままでは中国海軍は直接太平洋へ進軍はままならないけれども、
尖閣諸島を領有し、
そして南シナ海海域の実効支配できれば、
太平洋への海路は開け、
中国国防としての対米防衛ラインの「第一列島線」「第二列島線」はその有効性が高まる。








世界の潮流として
経済的な面、マネーを思慮すれば
米中衝突は起きないように思われます。

しかしながら外的要因で米中が軍事衝突する可能性もあるわけです。



たまたま時を同じくして、
これを書いている今、
中国の習近平国家主席は訪米。
中国国内からの米国へのサイバー攻撃などをはじめ、
米中間の懸案、諸問題について話がなされるものと思います。

今回の習国家主席訪米、たいへん気になるところです。

憲法を再び認める国民投票【時事所感48】

現行の日本国憲法について議論をすると
よく出てくる話があります。

「米国GHQから与えられた憲法だ」

「日本人自ら作った憲法でない」

「自前でない押し付け憲法」



こうした話が出てきます。


正確には、
現行憲法の作成過程に
日本人も携わっているので、
これは的確ではない。

与えられた憲法だというけれども、
後に主権回復してそれ以後も現在に至るまで
ずっと現行憲法を長い間維持してきた。
つまり民主主義的に国民の総意の下に
現行憲法を認め続けてきたわけです。


しかしながら私たち日本人は、
現行の日本国憲法誕生の過程を知れば、
やはり心のどこかで
米国から与えられた憲法であり、

「戦後70年の長い間日本の平和を維持し続けた
この平和憲法をノーベル平和賞に推奨しよう」

などと話が出ても、
どこかで手放しでは喜べない
誇れないような何か晴れないところがある。

日本人自らが知恵を絞り試行錯誤しながら生み出した憲法でないという点があるからでしょうか。






この議論、つまり余所から与えられた憲法という話から脱却するために、
一つ個人的に提案があります。


現行憲法を日本国憲法として再度認めるか否かの国民投票をするというのはどうでしょうか?


正式な手順を経て国民参加の憲法が生まれれば、
先に述べたような責任転嫁的な話もなくなるし、
国民全体で憲法についての理解を深めていくこともできる。

そこから憲法についての議論も始められるというものではないでしょうか。



そもそも憲法とは何か?
基本的な部分が欠落したような議論も散見されている現在、
もう一度憲法について考えてみては如何でしょうか。






できれば現代文に訳した新訳日本国憲法にしてから、
国民に理解し易い形で現行憲法の認否国民投票をするのを提案します。