防災・減災・免災 【時事所感50】 | 多事争論(時事所感)

防災・減災・免災 【時事所感50】



9月27日であの御嶽山噴火から一年。

多くの犠牲者を出す噴火災害となってしまいました。






御嶽山噴火をはじめ、
東日本大震災や広島集中豪雨土砂災害、最近では鬼怒川洪水など
こうして自然災害を目の当たりにして、
自然の猛威、その力を前に
人間は如何に弱く無力なのかということを思い知る感じがします。


また私たち人間は自然災害への姿勢というか向き合い方において
何か間違ってはいないか、
何か錯覚というか勘違いしてないか、

そう感じることがあります。
 

日本においていえば、
歴史のなかに天災・自然災害の記録は沢山あって、
遠い歴史に遡れば
シャーマニズム・神道があって、
天という自然の神を崇め
災いを治めようとする。

時代は流れ知識や技術が進んでいくと
防災という考え方が生まれ、
自然災害を防ぐために
積極的にこれに取り組むようになる。

氾濫の多い河川には土手や堤、
貯水池・溜め池を周囲に造り
支流・水路を造り足し、
大掛かりなものでは
河川本流自体を人の手で造り変えることもあった。

さらに時代が進み
ダムや近代的堤防が造られ、
防波堤など護岸整備が施され、
台風や地震には頑丈な建造物が建てられる。

人間の高度な技術が発達すると
防災から災害予測・予知という考え方に
変わっていく。
陸地、海上や海底、宇宙衛星などの観測機器などで観測、
変化や予兆を捕らえ
そこから天候や地震、火山噴火を予測・予知しようと試みている。





人類の英知や科学技術に溢れ囲まれて暮らしていて、
天気予報や地震警報、津波注意報や津波到達時刻の予想も
知らず知らずのあいだに
私たちは自然の力に追いつき
自然災害をも乗り越える科学と技術を
持ち始めているような
そんな錯覚に陥ってしまっているように感じます。

そのことに気付かされたのが、
先の東日本大震災であり、広島集中豪雨や御嶽山噴火だったと思います。




東日本大震災の時、
「予測出来なかったのか」
という声が上がっていました。

地震分野の研究者や識者は
こんなことをおっしゃっていました。

「今までの地震研究では予算や科学技術的な観測データにも限界があった。
科学技術が歩した今、地表や海上、海底そして宇宙からも観測できるようになった。東日本大震災は人類史上初めて多角的観測がされた地震です。こうした観測データや研究の積み重ねが確率や精度を上げていく。本格的な多角的観測や研究は始まったばかりと言える。」







こうして考えてみると、
大雨や地震、火山噴火といった自然の脅威を予測・予知がまだ十分出来ない、
現時点では限界であれば、
私たち人間は自然災害についての考え方、自然との向き合い方を考え直さないといけない。

最近そうした考えから、

「防災」から「減災」そして「免災」

という言葉、考え方が出てきています。

自然災害を未然に防ごうという「防災」の考え方も、
有効性はあるけれども、
皆さんご存知のように
実際には人間の想定を超える自然の猛威、災害はしばしば起きてしまう。

そうした自然災害の経験から
新たに「減災」という考え方が出てきて、
災害は起きてしまう、これを前提に
その災害規模や被害を少しでも減らすための備えをしようと。

そこから更に考え出されてきているのが
「免災」という考え方で、
自然災害で最も財産や人命の被害を受けるのは住民であり、
災害そのものから少しでも免れるための備え方などで、

東日本大震災についていえば、
震災後津波被害からの街や村の復興計画の段階において、
津波被害の起きる低地には商業地、
学校や住宅地は高地に設ける
といった内容で、
実際にこうした復興計画を進めている市町村があります。



御嶽山噴火の話に戻せば、
火山噴火の予知・予測というのも
明らかな噴火予兆が観測されるものを除くと、
御嶽山噴火のように
登山者が避難することさえ難しいケースがあるわけで
一時避難用の防空壕やシェルターのようなものや
救助捜索活動時に仮設置した短いトンネル状の厚い鉄製の避難設備など
早急に整備したほうがいいし、
登山者へも緊急時行動マニュアルなどを再度内容を検討し用意したほうがいいと思います。





自然災害は起きてしまうものだ、
そうした考えを予め持っておいたほうがよいのではないでしょうか。

「減災」そして「免災」という教訓が活かさなければならない。
こうした先の災害での犠牲者の方々からのメッセージだと思います。

多くの人々の生命と財産が関わる話、
「想定外でした」
で済ませられる話ではありません。