だんじり【時事所感47】
9月19・20日と大阪府南部の岸和田市で
岸和田だんじりまつりが行われました。
私も仕事が終わってから夜の灯入れ曳行を観に行ってきました。

連休ということもあり多くの見物客、
そして沢山の出店でたいへんな賑わいでした。
実は以前は全国区的にはさほど知名度はありませんでした。
私が東京キー局で仕事していた頃、
某プロデューサーがだんじり祭りに興味を持って、
全国ネットのプライムタイムの一時間番組や夕方のニュースで毎年取り上げるように
なってから、
知名度は飛躍的に上がっていきました。
私も同じ泉州地域出身だったので、
番組関係者から話を尋ねられたのを記憶しています。
岸和田出身の著名ファッションデザイナー・コシノ3姉妹のお家をモデルにした
NHKドラマにもだんじり祭りが出てきます。

この岸和田だんじり、歴史は古くは約300年程前の神社への献灯提灯奉納や五穀豊穣祈願などがはじまりとされています。
この岸和田祭りをはじめ
堺市南部から以南の泉州地域一帯は9~10月にだんじり祭り一色になります。
年々祭りの規模は大きくなり盛り上がりをみせている、
実はその一方で年々問題になってきていることがあります。
祭りの担い手不足です。
少子化の問題は学校の学生数や社会や企業職場の人材不足だけでなく、
実はこうしたところにも影響が出始めている。
岸和田祭りも知人や地元の人たちから聞く話では、
何年も前から祭りの中心となる青年団。
その青年団の若い層の人数が段々と減ってきているそうです。
さほど有名でない他地域のだんじり祭りになると、
青年団によっては新入りが一人から二人、
若手の青年団員が数名という深刻なところもあるそうです。
調べてみますと
全国的に各地の伝統的行事や祭礼などで
こうした話は出てきているようです。
行事や祭礼に必要な人手が足りなかったりすると、
親戚や知人、職場関係者や近隣から助っ人のような形で
人員補充されることもあるそうです。
特に曳き手や担ぎ手などについては、
熟練度や習熟性、つまり技術や経験が必要な祭礼では
事故につながる危険性を指摘する声もあるようです。
ここ数年各地の祭礼での不慮の事故をニュースで見ますが、
事故の因果関係があるのであれば、
対応策というのを検討しないといけない。
少子化という問題が日本の伝統的行事や祭礼など文化面にまで影響が出始めてきている。
ある企業のように人材確保を海外に求めたり、
人材不足に外国人留学生をパート・アルバイトで起用したり、
それが悪いというのではなく、
日本の伝統的文化の継承にまで海外に人材穴埋めを求めるという冗談めいた笑えない話ではあります。
あともう一つ補足なのですが、
岸和田だんじり祭りが全国区的に有名になりつつあるので
一つ個人的に提言したいことがあります。
ゴミの問題です。
勇壮でたいへんな盛り上がりをみせる
素晴らしいお祭りも、
興ざめしてしまうのが、路上や街の至る所のゴミです。


全国区で有名な「三社祭」「祇園祭」「ねぶた祭り」「阿波踊り」などと
決定的に異なるのがゴミだと感じます。
岸和田だんじりを観に訪れた観光客の人たちが、
また観に来たいと思え
リピーターとして観光に訪れるのか、
それとも
祭りでゴミだらけになった景観に興ざめして、
一度きりのトライアル観光で終わるのか。
是非改善していただいて
日本有数の魅力ある祭礼にしていただきたいと思います。
岸和田だんじりまつりが行われました。
私も仕事が終わってから夜の灯入れ曳行を観に行ってきました。

連休ということもあり多くの見物客、
そして沢山の出店でたいへんな賑わいでした。
実は以前は全国区的にはさほど知名度はありませんでした。
私が東京キー局で仕事していた頃、
某プロデューサーがだんじり祭りに興味を持って、
全国ネットのプライムタイムの一時間番組や夕方のニュースで毎年取り上げるように
なってから、
知名度は飛躍的に上がっていきました。
私も同じ泉州地域出身だったので、
番組関係者から話を尋ねられたのを記憶しています。
岸和田出身の著名ファッションデザイナー・コシノ3姉妹のお家をモデルにした
NHKドラマにもだんじり祭りが出てきます。

この岸和田だんじり、歴史は古くは約300年程前の神社への献灯提灯奉納や五穀豊穣祈願などがはじまりとされています。
この岸和田祭りをはじめ
堺市南部から以南の泉州地域一帯は9~10月にだんじり祭り一色になります。
年々祭りの規模は大きくなり盛り上がりをみせている、
実はその一方で年々問題になってきていることがあります。
祭りの担い手不足です。
少子化の問題は学校の学生数や社会や企業職場の人材不足だけでなく、
実はこうしたところにも影響が出始めている。
岸和田祭りも知人や地元の人たちから聞く話では、
何年も前から祭りの中心となる青年団。
その青年団の若い層の人数が段々と減ってきているそうです。
さほど有名でない他地域のだんじり祭りになると、
青年団によっては新入りが一人から二人、
若手の青年団員が数名という深刻なところもあるそうです。
調べてみますと
全国的に各地の伝統的行事や祭礼などで
こうした話は出てきているようです。
行事や祭礼に必要な人手が足りなかったりすると、
親戚や知人、職場関係者や近隣から助っ人のような形で
人員補充されることもあるそうです。
特に曳き手や担ぎ手などについては、
熟練度や習熟性、つまり技術や経験が必要な祭礼では
事故につながる危険性を指摘する声もあるようです。
ここ数年各地の祭礼での不慮の事故をニュースで見ますが、
事故の因果関係があるのであれば、
対応策というのを検討しないといけない。
少子化という問題が日本の伝統的行事や祭礼など文化面にまで影響が出始めてきている。
ある企業のように人材確保を海外に求めたり、
人材不足に外国人留学生をパート・アルバイトで起用したり、
それが悪いというのではなく、
日本の伝統的文化の継承にまで海外に人材穴埋めを求めるという冗談めいた笑えない話ではあります。
あともう一つ補足なのですが、
岸和田だんじり祭りが全国区的に有名になりつつあるので
一つ個人的に提言したいことがあります。
ゴミの問題です。
勇壮でたいへんな盛り上がりをみせる
素晴らしいお祭りも、
興ざめしてしまうのが、路上や街の至る所のゴミです。


全国区で有名な「三社祭」「祇園祭」「ねぶた祭り」「阿波踊り」などと
決定的に異なるのがゴミだと感じます。
岸和田だんじりを観に訪れた観光客の人たちが、
また観に来たいと思え
リピーターとして観光に訪れるのか、
それとも
祭りでゴミだらけになった景観に興ざめして、
一度きりのトライアル観光で終わるのか。
是非改善していただいて
日本有数の魅力ある祭礼にしていただきたいと思います。
中立【時事所感46】
最近よく「中立」という言葉を耳にします。
因みに
「右派」「右翼」と「左派」「左翼」というのは
昔ヨーロッパの議会で
「保守派」と「革新派」が左右に分かれて着席していたことから呼ばれています。
この「左」と「右」そしてもう一つ、
「中立」というのがある。
この「中立」耳あたりの良いニュアンスで受け取られることが多いのではないでしょうか。
しかしながら実は厳密には
この「中立」というのはその立ち位置や座標点は曖昧なもので、
「右」や「左」に物凄く影響を受けやすい。
影響を受けて「中立」という座標点も動きうるものだということ。
つまり時間の経過とともに
そのときの社会的背景や価値観など変化してゆくと、
「右派」「左派」「中立」もともに変化するわけです。
現代の私たちが中立的と思っている事象も
昔の人たちからすれば物凄く革新的だったり、
昔の人たちが革新的だとしていたことも
現代の私たちからみればすごく保守的だったりする。
「中立」というのは規則や法則、厳密な定義がないので、
大凡この辺りが中間だろうという曖昧さがあるわけです。
何の話かというと、
メディア批判の話です。
テレビや新聞、雑誌などマスメディアについて
「中立を保たなければならない」
と批判がよく出てくる。
けれども真剣に考えれば
そもそも中立か否かを計る装置もないし、
二者択一的な短絡的な事象ならまだしも、
複雑な事象や問題であればあるほど
中立というのは難解なのです。

そしてもう一つ、
メディアというのは
ここで述べるのは報道メディア、つまりジャーナリズムですが、
大抵は「左寄り」になることが多いということ。
民主主義について話される
「マスメディアは第4の権力」
司法・立法・行政の3つの権力が正常に機能しているか
体制側権力側を監視チェックする社会的役割を有する。
反体制、反権力という
全てではないのだけれども
そうした立ち位置に基本的にはある。
こうした点は理解しておかなければならない。
そうでなければ、
メディアから批判的な記事や報道が出されるたびに、
よくネット上で見られるような
「左翼新聞だ」とか「反日テレビだ」などと
十把一絡げみたいに片付けてしまうのは
如何なものかと思われます。
勿論言論の自由や発言や表現の権利はあるわけです。
メディア批判も必要なのだけれども、
「右」も「左」もバランスよくあってこそ、
風通しのよい自由な議論が出来るし、
健全な民主主義があると思います。
因みに
「右派」「右翼」と「左派」「左翼」というのは
昔ヨーロッパの議会で
「保守派」と「革新派」が左右に分かれて着席していたことから呼ばれています。
この「左」と「右」そしてもう一つ、
「中立」というのがある。
この「中立」耳あたりの良いニュアンスで受け取られることが多いのではないでしょうか。
しかしながら実は厳密には
この「中立」というのはその立ち位置や座標点は曖昧なもので、
「右」や「左」に物凄く影響を受けやすい。
影響を受けて「中立」という座標点も動きうるものだということ。
つまり時間の経過とともに
そのときの社会的背景や価値観など変化してゆくと、
「右派」「左派」「中立」もともに変化するわけです。
現代の私たちが中立的と思っている事象も
昔の人たちからすれば物凄く革新的だったり、
昔の人たちが革新的だとしていたことも
現代の私たちからみればすごく保守的だったりする。
「中立」というのは規則や法則、厳密な定義がないので、
大凡この辺りが中間だろうという曖昧さがあるわけです。
何の話かというと、
メディア批判の話です。
テレビや新聞、雑誌などマスメディアについて
「中立を保たなければならない」
と批判がよく出てくる。
けれども真剣に考えれば
そもそも中立か否かを計る装置もないし、
二者択一的な短絡的な事象ならまだしも、
複雑な事象や問題であればあるほど
中立というのは難解なのです。

そしてもう一つ、
メディアというのは
ここで述べるのは報道メディア、つまりジャーナリズムですが、
大抵は「左寄り」になることが多いということ。
民主主義について話される
「マスメディアは第4の権力」
司法・立法・行政の3つの権力が正常に機能しているか
体制側権力側を監視チェックする社会的役割を有する。
反体制、反権力という
全てではないのだけれども
そうした立ち位置に基本的にはある。
こうした点は理解しておかなければならない。
そうでなければ、
メディアから批判的な記事や報道が出されるたびに、
よくネット上で見られるような
「左翼新聞だ」とか「反日テレビだ」などと
十把一絡げみたいに片付けてしまうのは
如何なものかと思われます。
勿論言論の自由や発言や表現の権利はあるわけです。
メディア批判も必要なのだけれども、
「右」も「左」もバランスよくあってこそ、
風通しのよい自由な議論が出来るし、
健全な民主主義があると思います。
悪識の府の茶番劇【時事所感45】
安全保障法案は国会参議院にて可決されました。
与野党の攻防というか混乱状態のなか、
いろいろな事があって、
国民、有権者からすると真剣に審議されているのか疑問に思うし、
茶番劇を観させられているような感がありました。
野党側は不信任案、首相の問責決議案を提出。
与野党議席数からして、つまり数の論理で
通らない、否決されるわけで、
採決先延ばしのための時間稼ぎの問責決議案でありました。
また、ある参院議員は
「自民党が死んだ日」というプラカードを見せたり、
喪服の出で立ちで焼香や合掌の真似事をしながら、一人で似非牛歩戦術のようなことをやってみせている。
その一方で、野党の女性議員団が委員会の開会阻止を目論んで、
ピンクの鉢巻きをして廊下を占拠して往来を妨げて開会阻止をする。
これを排除しようとすれば、「暴力だ、セクハラだ」と叫ぶ。
代わって女性衛士が排除しようとすると、
「こんなときだけ女性を使うな」と罵声がとぶ。
他方では、自民党の女性議員が野党民主党の男性議員に
国会内で暴力的行為によって
手を負傷した話も出てきています。
やじ、怒号、罵声、占拠、暴力的行為、プラカード、牛歩、数珠…。
これが私たち日本の国会かと思うと呆れてしまいます。


話を戻すと
今回の安全保障法制の話、
野党側の完全なミステイクだったと思われます。
以前の事を思い返して欲しいのですが、
自民党から民主党へ政権交代した時、
民主党が「NEXT~大臣」と各議員に名乗らせていた頃、
与党の政策や法案に対して野党側はマニフェストや具体的な対案を出していました。
内容の詳細は兎も角、
選択する国民有権者には比較対照があって
議論の争点や政策内容が伝わり理解し易かった。
今回の安全保障法制も憲法学者たちを巻き込んで議論され始めた辺りまではよかった。
国会や国民全体で本格的に議論されれば
よかったのだけれども、
合憲か違憲か、憲法解釈云々とかで議論や話が広がりを保たなくなっていった。
野党の責任だと思います。
「戦争法案」とか「徴兵制」「政権の暴挙」など
センセーショナルなネーミングや不安を煽るためのような質問を並べ立てて
議論を深めるための手法や工夫は殆ど見られなかった。
やってることは昔に野党側が
「百円硬貨握り締めた子供がお菓子買えずに泣きながら帰ってくる悪しき消費税は導入反対」
と感情論みたいなスローガンをやってた頃と何ら変わっていない。
「徴兵制」「軍国主義」「戦争が起きる」
野党側が声高に叫び訴えたこれらの事柄も、
今回の安保法案や集団的自衛権には直接は何ら関連しない。
もし直接関係するのであれば、
国家防衛の法整備された国や
集団的自衛権容認の国は、
軍国主義にはしり
徴兵制を導入し
戦争をやっていなければいけない。
国際社会を見回して
現代そうした国が何処にあるのだろうかと問いたくなります。

述べたい事が沢山あり過ぎて長くなるので、
この辺りにして、
いずれにしても
良識の府と呼ばれる参議院が
殆ど形骸化してしまって悪識の府と呼びたくなるくらいの茶番劇でした。
国会議事堂周辺ではあれだけ沢山の国民が
賛成派も反対派も集まって行動を起こしているのに、
戦後70年目の政策の大きな転換にあたり、
幅広く議論を深めることもなかった。
無責任な野党側の責任だと思います。