多事争論(時事所感) -30ページ目

野村秀介氏の自決【時事所感85】



私がジャーナリズムの世界を志していた学生時代、

学校へ行くと、いつもとは雰囲気が違うためクラスメイトに尋ねると、



「え?知らないの、野村君のお父さんのこと?」


「昨日の朝日新聞立て籠もり、

野村君のお父さん、野村秀介さんだよ」




「・・・え?」





クラスメイトが野村秀介氏の御子息だとは知りませんでした。






「週刊朝日」に掲載された山藤章二氏のイラストに抗議、謝罪を求め、朝日新聞東京本社を訪れ、

社長と話し合いの場を持つも、

野村氏は皇居方向へ御辞儀をし、「皇尊弥栄」を3度繰り返し発した直後、持参していた拳銃2丁を両手に自らの両脇腹に当てて発砲、自決したのです。




野村君については、

時々は学校を休んでいたように思うけれど真面目に授業を受けている学生で、

個人的印象としては良い印象で、

あまりお喋りではない物静かな感じ、

若い年齢にしては大人びた落ち着いた雰囲気の学生でした。



事件前日からだったでしょうか、1~2週間程は彼の姿は見えませんでした。



直近に発売された各週刊誌の表紙は、

生前の野村秀介氏、葬儀で遺影を抱えた野村君の姿ばかりだったのを覚えています。


友人からの伝え聞きでは、

この事件の時、野村君も父・野村秋介氏と共に朝日新聞社へ行っていたようでした。



この時に頭に浮かんだ記憶というのは、

学校で講師をされていた一水会の鈴木邦夫さんと野村君は、以前から長い時間にわたって話をしていて、

あの鈴木邦夫さんが真剣な面持ちで真摯に話込まれていたのを何度か目にしたことがあったことです。


この出来事で納得しました。


野村秀介氏の御子息だったと。







暫くしてから野村君が教室に姿をみせた時、

何一つかける言葉がありませんでした。

 

クラスの幾人かは話をしていましたが、

事の衝撃さ故に私は何一つかける言葉は持ち合わせていませんでした。





当時の私はジャーナリズムの世界で仕事することに気概を感じ、

ジャーナリズム=権力のチェック機構、反権力、

反体制的思想が強く、右翼や国体、国粋というものに抵抗があり、

何かしら危険な思想の扉を開いてしまうのではないかと遠ざけてしまっていたように思います。


尚更掛け得る言葉はありませんでした。



因みに、この出来事の後、この新聞社で仕事することになり、

事件があった階へは心情的なこともあり、

行くことはありませんでした。





現在にして思えば、

この出来事に関係なく、色々な話をしておけばよかった、聞いてみたかったと。

今更ながら思っています。







以前にも【多事争論・時事所感70】「国家存続のための3要素」を述べましたが、

今回の話とも関連した話をしたいと思っています。




※野村秀介氏・・・戦後の新右翼、民族派思想を代表する論客、思想家、活動家。

1993年10月20日に朝日新聞東京本社にて自決。

「さらば群青:回想は逆光の中にあり」 等著書多数




ペットショップの生体【時事所感84】

ミルキーウェイさんのブログを読んで、

関連して所感一筆。






私の実家には現在猫が3匹います。


皆、捨て猫でした。


過去に飼っていた愛犬1頭、愛猫2匹も天寿を全うしましたが、

皆が捨て犬、捨て猫でした。



姉はペットショップの犬や猫を見るのが好きでしたが、次第に嫌になりました。


理由は、

目の前にいる子犬や子猫等、

いい飼い主さんに出逢えられれば良いのだが、

全ての動物たちがそうなるわけではないからです。


性格良しで愛嬌あって人懐っこくても、


毛色が~、

 柄が~、

鼻下の模様が~、


ほんの小さなことが理由で飼ってもらえない、

売れ残るというのが日常的なのです。


子供連れの家族が新しくペットを飼うために見に来て、

子供が新しく飼うペットを選ぶとなれば、

そういうことも有り得るのは想像に難くはないけれども・・・。


 



売れ残った子犬子猫が成長して成体に近づくにつれ、値引きされ、

それでも売れ残ると殺処分、よくても種付けに回されて、

やはり殺処分。


全てのペットショップとは言わないけれども、

昔、ペットショップ経験のある人から耳にしたことがあります。




現在は法律が改正されて以前より厳しくなったこともあり、

ブリーダーさんのもとに戻ったり、

ボランティア活動によって飼い主を探し求めたり、

色々な取り組みがなされているようです。



しかしながら殺処分ゼロと完璧にはいかないようです。



話が少し変わって、


因みに、保健所による殺処分が多い日本。


主な理由には、

「引っ越し先でペットを飼えない」

「経済事情」

等があります。


一方で海外をみると、

殺処分が少ないドイツ。


ドイツでは、

安易な気持ちでペットを飼わない、責任を持って飼うという社会意識を養うために、

迷子ペット等や飼育放棄された動物たちを集めて、

飼育するシェルターが各地に多数設けられているそうです。


この飼育シェルター、

迷子ペットを探している元々の飼い主たちや、

新しくペットを飼い求めている市民、

社会教育等のためにオープンになっているそうです。


私達日本の社会でもボランティア活動されている方々をはじめ色々な取り組みがなされています。


相当難しい問題もありますが、

一日も早く殺処分ゼロに近付くように、

社会全体、私達自身の意識を変えていく必要があるのでしょう。








※我が家の愛犬クゥ(♀)生前の1枚









壊して≠良き世界【時事所感83】

まずは10代~20代頃の当時の話から。




「~改革を実行」

「~抜本的改革が急務」

「規制の撤廃、規制緩和」

「~を開放」

「~の合理化を推進」


挙げればきりが無い程、こんな言葉が幾年月もあちらこちらから出ていました。


その頃は若輩だったこともあり、


「有名な政治家の言うことだから」

「著名な専門家の考えだから」

とテレビ・新聞を通じて受け止めていました。



その頃、テレビの討論番組内で、

改革や緩和、開放が世論の主流だった当時、

これに反論するかのように、ある評論家や作家の方が発言したものを今も覚えています。


「然程大きくない日本という島国を、

例えたら盆栽みたいな国。

大きくない植木鉢のうえに、

枝葉が育っては鋏を入れたり、枝の向きを変えるために支柱を添えたり、

根元には立派な苔がむすまで、

時間を相当掛けて作品が出来上がっていく。


昔の〇〇之國、今は都道府県という単位に細かく分けて、そのなかに更に細かく市町村単位に分けた。

そこに新たな行政や公共施設や事業、インフラ整備が必要になって、

役職や事業が生まれてきたことで、

社会全体のきめ細やかな繋がりから、社会の安定や全体の強さを、長い時代年月をかけて、工夫して生み出してきた。


何でもかんでも合理化すれば上手くいくなんて考えは危険性を沢山含むし、弊害が必ず出てくる。」


分かり易く話をすれば、

社会を細かく構成することで、

行政サービスにしろ一般企業にしろ、

細かい対応や柔軟性を保てました。

更には仕事が増える分、失業率も世界中でみても際立って低かったわけです。


例を挙げれば、

郵政民営化で合理化が推進すれば、

人口の少ない市町村や地域にある郵便局は、

統廃合されて減少するか無くなるわけです。


悪い表現になるとは思うが、

少子高齢化した過疎化地域は、それまではあった郵便局が統廃合で無くなり、

バスを乗り継いだりして、局のある都市部まで行かなければならない。


「弱者の切り捨てだ」と言われても仕方が無いのです。


この討論番組があった時代というのは、

バブル経済崩壊後で、地方創生事業という税金が投入されたり、日米経済摩擦(正確にはEconomic war)による日本の輸入関税や規制緩和の交渉や保険事業や携帯電話・通信事業市場の海外事業社への市場参入開放交渉などもありました。

幾つの保険会社や銀行倒産等が起きた時も、

政治家や評論家の一部は、

戦後の護送船団方式が国際的競争力を失わせた等の批判を展開していました。


バブル景気の崩壊とともに、米国を中心としてやり込められ始めた頃です。


話が長くなるのでここらで割愛して、

個人的には、

「善し悪しは別として、まあこれだけもよく壊しに壊したな」

という印象です。






開放や規制緩和すれば、各社や新規参入社にゆる競争から、

サービス合戦や価格競争が生じて、

消費者側にとっては恩恵がある。

一方では、実績の無い新規参入社によっては、

サービスや商品等の安定供給や信頼性の問題、過当競争によるコストカット、人件費削減や原材料見直しからの品質低下等も生じるわけです。


これが水道や発電、通信、医薬品・医療等の公共社会基盤に大きく影響する分野になれば、

緩和や開放すれば良くなるとは限らない。危険性を沢山含むことを考えれば理解し易いでしょう。





こうした潮流の時代を経て、

皆さんがみている現在に至ります。


全否定をするつもりは毛頭無いけれども、

極端な破壊はいけない、

現状の問題を改善するには、

「革命(revolution)」や「改革(reform)」は危険性を沢山含む。

飽くまでやり直しや軌道修正可能な「改善や改良(improve)」「修正(modify)」を積み重ねる、紡ぐ位が最良なのです。




しかしながら、民主制になると、

日本のみならず世界各国でみられるのは、


「変革!」

「Change!」


の大合唱です。


現在の政権や社会に対しての不満票を吸収するか如くに、大衆に向けて永遠と繰り返し叫ばれ続けるのは、


「変革!」

「Change!」


なのです。