ドミノ倒し、ステンドグラス、積み木【時事所感88】
私の気付きについてお話したいと思います。
「ドミノ倒し」
「重ね合わせてできるステンドグラス」
「積み木」
表現の仕方は何れでもいいのですが、
沢山ある時事ニュース、社会問題や国際問題等をある思考や論理を用いて無理無く説明しようとします。
思考や論理が合致すれば、これら諸問題というドミノがパタパタとある程度は倒れていく。
しかしながらドミノ倒しが途中で止まって、
沢山のドミノが残った。
倒れずに残った諸問題というドミノ、
これは自身の知識や思考、論理が不十分であるが故に、
思考や論理が合わない、説明出来ない時事ニュースや社会・国際等の諸問題が沢山残ったということ。
その思考や論理を形成・成り立たせている知識、情報等が未熟なことを示しています。
重ね合わせて作るステンドグラスを用いて例えれば、
自身の持つ知識や情報、思考や論理を重ね合わせて浮かび上がるステンドグラス。
そこに滅茶苦茶なステンドグラスが出来るとなれば、
自身の知識や思考、論理は不完全過ぎることを意味している。
知識や論理が積み木のように豊富に積み上がっても、
時事ニュースや社会・国際問題に照らし合わせたとき、
その積み木が脆くも崩れてしまう。
これは積み木の必要なパーツが不足しているか、積み木の積み上げ方に誤りがあるわけです。
こうした情報・知識の蓄え、思考・論理の形成のための日頃からの積み重ねを忍耐強く続けていくと、
少しずつ倒れるドミノが増えて、
ステンドグラスが何かしらの像を形作り、
ある形を成した崩れ難い積み木の山が出来上がり始めます。
しかしながら全てのドミノは倒れません。
ドミノのパーツ全てを倒すための知識や思考、論理を求める日頃からの積み重ね、探究心と忍耐強さが求められるのです。
そしてもう一つ。
沢山のドミノを倒す知識や思考・論理を持つようになっても、驕り高ぶってはいけません。
全てのドミノが倒れることもないでしょう。
何故なら、人間はそんなに完璧なのでしょうか?
私は必ず「自らを疑う」作業をします。
自身未だ努力が必要だと理解しています。
自身とは異なる知識や経験則、思考や論理を持つ相手の話を聞くことに努めます。
意見の異なる相手も、真剣にそれを信じ意見を述べているからです。
相手の話を聞く、理解すると、
相手の思考や論理に一理有ることに気付くこともあるし、
そこから弁証法のように新しい発見を得たり、
自らの思考・論理の構え方にも成長や変化をもたらすことで、
少しずつ真理のようなものへ近付いていくのでしょう。
まだあるのですが、長くなるので別の機会に。
今回はこの辺りで。
小沢王国の終焉【時事所感87】
「普段は記者団から出される質問に返答するばかりの一方通行だから、政治家の方々に自由に大いに語る場を設けてみてはどうか」
という趣旨から始まった長寿番組があります。
週末の朝の番組です。
私がメディアの仕事をしていた当時、
その番組に小沢一郎氏が出演した際の番組制作の友人に聞いた話では、
「小沢バッシングみたいな印象はない。
気さくに世間話や笑い話する明るい人。
笑顔の人。礼儀正しい、高飛車でない、物腰柔らかい。
カメラが回っていなくても変わらない、好印象。」
当時、その意外性に驚いたことを記憶しています。
今回の衆議院選挙でインパクトを受けた一つが、その小沢一郎氏の選挙区落選でした。
かつて「小沢王国」といわれた選挙区岩手で落選したのです。
小沢氏の略歴は割愛しますが、
かつて田中角栄氏の田中派のホープとして注目されました。
当時としてはあの若さで自民党幹事長になり、
将来の総理総裁候補でした。
総理総裁候補として推薦される機会も持病の理由で辞退。
米国政府からは注目すべき将来の日本の政治家のリストに挙げられ、
米国政府関係者からは日米交渉の相手として「タフネゴシエーター」と呼ばれていました。
意見調整や選挙対策・戦術に長けていて、
「実質の国会対策委員長」と目され、
故・中曽根康弘元首相は「名医の手術をみているよう」と評したことも。
そうした一方で引っ掛かるのは、
小沢一郎氏が関わり合う派閥や合流する結成新党は、必ずと言ってもよいほど、
混乱や騒動、分裂を起こしています。
小沢氏の著者「日本改造計画」がベストセラーの時に購入して読んだけれども、
個人的感想を述べると、
政治家としての確固たる政策理念や個人的信念のようなものを実は持ち合わせていなかったのではないか、と感じています。
構造改革推進派と反対派、
消費税引き上げ派と反対派、
海外派兵賛成派と反対派、
あちらこちらとその度に合流したり離脱したり。
一時は「カメレオン」と揶揄されたこともありました。
「剛腕」「ワンマン」のイメージが強く、
メディアを筆頭に相当なバッシングはあったものの、
小沢氏のような仕事の出来る方で、適材適所であれば、
もっと活躍できたのではないかと思う。
地元岩手「小沢王国」での選挙区落選は、
世代交代と共に小沢王国の終焉を表しているのか、
少し残念な感じもします。
対話が成立しない理由【時事所感86】
衆議院選挙投票日ということで、
これに少し関連した話を。
私達の生活のなかで、
会話・対話する際、議論、討論等を視聴する際にも、
我々一般庶民も政治家も
会話が成り立たない場面がありませんか?
話が一向に進まない、話が噛み合わないなど。
今回は、この理由のうちの一つをお話します。
ポストモダニズム(Postmodernism)です。
よくは判らない方でも耳にしたことはあるかと思います。
関心ある方は調べてみてください。
細かく説明すると長くなるので、かなり大雑把に荒削りな簡略でお話しします。
哲学や思想においてカントやモダニズム哲学後に派生したのがポストモダニズムです。
「客観的真理は無い」
「全ては相対的である」
「脱構築できる」
という考え方です。
特に神の実存・宗教的慣習等の真理の主張については、
「貴方にとっては真理だが私にとってはそうではない」
というのが、よくみられるポストモダニズム派の見解です。
“There is no such thing like objective truth”
「そこに客観的真理・真実はない」
事象や言語などあらゆる解釈について、
「貴方にとってはAだとしても、私にとってはBだ」
このポストモダニズムの思考の構えが芸術や趣向の話であれば、まだよいのだが、
社会生活や政治の世界に持ち込まれると危険性があるのです。
政治家達の対話や討論の場面において、
このポストモダニズムの構え方で対話をすると、
共有する価値基準や判断基準、言語や事象解釈が成り立たなくなるので、
相手の意見・主張を聞くことも、
理解するための過程も成立しない。
故に対話や議論が成立せず、
喧々囂々とした討論になるのはこのためです。
学者や評論家、政治家にも
この思考の構えの方、時折見受けられますね。
これを頭に入れたうえで対話や議論を目にすれば、
また違った側面を理解できるでしょう。
長くなるので、かなり割愛しましたが、
関心や興味ある方は詳しく調べてみてください。


