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福祉に関わる人たちへ

人生はどれだけ多くの気づきを経験したかで、如何様にもなるものです。誰かが言っていますよね。「人は思うようにならないと言うが、そう思っているという意味では、思い通りになっている」と。

こんばんは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。   



人間の基本的な思考。



 「人間は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じない」

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あなたは、どうだろう?



結婚や子供がわかりやすい・・・



多くの人は、結婚を望み、子供を欲しがる。




なぜだろう???




少子高齢化が云々だとか、愛がなんたらとかビビッときたとか・・・



違うと思う。




それが普通だと思うから。それがしあわせと思うから。




普通=しあわせ・・・これもありだと思う。



だから、否定はしない。





でも、それに気づいているかどうかが大事。


実際は、そこに世間体や自分だけの欲望があるということに気づかない・・・



欲望と束縛と見栄が混在している。



話が逸れてしまうが、ある人が面白いことを言っている。






意外と見落とされるのだが、生物の進化は、よく言われるような


「環境の変化に適応して」起こっているのではない。



 



仮に「環境の変化に適応」という言い方をしてしまうと、



住んでいる世界の環境はある程度皆に共通なのだから、



すべての生物が同時に同じ変化を起こさないと説明が



つかなくなる。



 



しかし現実には、同じ環境内にもかかわらずある種だけが



変化を遂げる。



 



そしてその種が他の種を圧倒して支配権を奪取するに至る。



 



これを論理的に説明しようとすれば、どうなるだろうか。



 



それは、



 



 



「その生物が自分で自分の環境だけを変化させた」



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ということにならざるを得ない。



 



すなわち、環境の変化に適応する以前に、その変化した環境を



「自分で」作り出しているということだ。



 



たとえば、僕らも寒い冬にTシャツで外にいるのと、



ダウンジャケットを着て外にいるのとでは、



「自分の周りの環境」に差ができることを毎日体験している。



 



その結果一方は風邪をひくがもう一方は何事もない、



などの「結果」にも違いが現れる。



 



風邪をひき、インフルエンザになり、それでも変わらず



Tシャツで外にいる人間は、いつかは滅ぶだろう。

 



どこかで薬を飲み、厚着をした人間は、また春を迎えることができる。



 



「外」という環境はみな共通なのに、個人個人の生きる環境は



「微妙に」違うのだ。



 



だから進化のプロセスとしては、「新しい環境に適応」という



一段階ではなく、



 



 



1.新しい環境を自分の周りに自分で作る



2.その新しい環境に適応する



 



 



という二段階になっていることがわかる。



 



こうすることで、同じ環境にのほほんと生きている他の種を



横目にそっと出し抜くことができるようになるという算段だ。



 



ここでは、「環境を作る」とは言ってももちろん意思の有無は



問題にしておらず、目的論的な議論にはしたくないのだけれど、



いずれにせよ、自ら新しい環境を作ること、そしてその新しい



環境に適応することで、生物は進化を遂げてきたということが



言えるのである。



「変化を拒んだ生物は、遅かれ早かれ滅ぶ」



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 のが自然の摂理だからだ。



「地球にやさしく」なんてコピーがよく見られるが、とんだ勘違いだ。



僕らは自然の摂理のうえに成り立って生きている、生かされている。



変化を拒む、拒まないと考えなくていい・・・

自ら変化を起こせばいいんだ。







 



 

 


こんばんは、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。  



最近、つよく思う。



障害者を障害者にしているひとたちについて。



それは、支援者と親。




実話かどうかは想像に任せるが・・・



知的にも重度の自閉症の方が職場で働いていた。


しかし、職場環境はとてもよく、何の問題もない日々が続いていた。



毎日、母親と障害者担当者が日誌をつけていたが、順調なので週1にしたくらいだった。



ある時、母親からすごい剣幕で電話が・・・



「うちの息子が涙をこぼして、作業所に戻りたいと言っています!」




今までと変わっていたこと・・・それは、

・午後から入っていた1人の障害者が、午前中から入っていた

・担当者が面接などで外出することがあった

・同じ職場の従業員が他部署のヘルプに行くことが一定時間あった

・手隙時間が多かったため、簡単な作業を担当者と一緒にやるようになった



これらをすべて伝えると、もう止められない勢いになった・・・




その後、作業所の支援者が訪問することに・・・





職場の担当者から本人に「最近なんか変わった?大変になったことある?」と聞くと「いそがしい・・・」と一言。



作業量が彼のキャパを越えたのか、それとも周囲の動きに反応していつものみんなと違うと察知したのか、

その両方なのか・・・答えはわからない。




でも今は、まったく問題ない。その1日、2日だけの出来事だった・・・



支援者も親もよくこう言う・・・「○○さん(うちの子)は自閉症なんです」



だから、これも無理、あれも無理にしてしまうのか?




そういうことがあったのなら、チャンスだと捉える親や支援者はいないのか・・・




ここまでだと親の批判のようだが、そんなのはどうでもいい。






さて、この場合、あなたが支援者なら親から連絡をもらってどうするか?



今回の支援者と同じく、

「ああそうですか!一度職場訪問してみますね」

と言い、職場に連絡するだろうか・・・



結局、支援者は職場に来て、「本人も楽しいって言ってましたし、とても良い雰囲気ですね」


だと・・・




親って何???

支援て何???




行き当たりばったりで、結果論を元にしか考えられない。




親と支援者が話して何が変わる?



会社は、彼が少しでも成長することを目的としている。

そう自立に少しでも近づけるように・・・



















おはようございます、「障害者じゃなく、支援者が変わろう!」です。 



支援者と障害者、そしてすべての人間に共通しているもの、その二。



みんな、もらいたい・・・



そう、何かをしてもらいたいんだな。




支援者は、「こんなにしてあげてるじゃない!いい加減、自立してくれない!?」
障害者は、「助けてください!それがあなたの仕事でしょ!!」
会社は、「障害者を雇ってあげるから、あんたたち、ちゃんと面倒みてよ」
国は、「お金出してやってんだから、しっかりと責任もってやってくれよ!」


みんな、みんな、自己中心的な考え。



うまくいくわけがない。



以前、福祉なんてなくしてしまえばいい的なことを書いた・・・


それは、福祉があるからみんなが見返りを求めてしまうという意味だ。




食べ物だって腹が減ってなくてもあれば食べる。

なくなってはじめて、大切さを知る。



人間は支え合う生きものだなんていうつもりはないが、

「ひとつ」であることに気づかないといけない・・・
「つながっている」ということを感じないと何も変わりゃあしない。




支援がうまくいった、いかなかった・・・

支援してもらえたおかげでうまくいった・・・
支援してくれなかったから失敗した・・・


くだらない。



すべてが結果論にすぎない。



世の中の成功本は、後付けの自伝にすぎない。



結果論だよ。




みんな、その瞬間、瞬間は今どうするか、思考錯誤の連続だ。



ただ言えるのは、成功者と呼ばれる人間は、もらおうとしない。




「自分がやる」「自分から与える」

そう、自分から周囲の人が何をすれば喜び、助かるのかを考えて
自ら行動している。





あなたは、もらいたいひと?


それとも・・・