Shine Body care studio ☆ 野崎加代子です😊
私は普通高校を出て、翌年、結婚しました。
その後、子供服のお店に正社員として就職。
運良く子供が出来て、退職し
その後、次の子供にも恵まれ、5年ほど専業主婦をしていました。
子供は2人までと決めていたので
子供を産み終わり、家計のため、働こうと思い
近所のスーパーで働き始めました。
同じ頃、水泳を習い始め、とても向いていたようで、半年で4泳法、泳げるようになりました。水泳の先生になりたいなぁ。と思い始めた頃
スーパーのスタッフ休憩所で【インストラクター募集】のチラシを見つけ、面接を受けたら合格。
働き始めたのが1997年6月のこと。
スポーツクラブで、スタッフ業務と水泳のインストラクターとして働き
1歳と3歳だった子供達を保育園に送り迎えしながら、大変でしたが、楽しく働いていました。
吸収することも、たくさんあり
目まぐるしく日々が過ぎていました。
朝、昼、夕方と水泳のレッスンを担当し
指導させていただいていましたが困った事がありました。
子供が病気になると
『お迎えに来てください』と保育園から連絡が来ること。
20年以上前。同じ職場には子供がいる人は、おらず
お迎えに行きたいと、とても言いにくい状態でした。
当時の同僚に、仕事をほったらかして帰って、ビックリした!と、言われた事がありますが、私は、全く覚えていませんでした。
子供の事は心配ですから、飛んで帰ったのかもしれません。
私には、両親がいません。
旦那さんは、仕事がありましたし
他に預けられる人はいませんでした。
スポーツクラブのレッスンをしているフリーのインストラクターの先輩が、太ってきたなぁ。と思っていたら
『産休に入りまーす』と、しばらく、お休みを取られ
復帰後は、『母乳あげてきまーす』と、1度帰宅され、またレッスンしに戻られる姿を見ました。
カッコいい✨
ちょうど、その頃に、素敵な先生と出逢い
水中運動の楽しさや健康への導きなど、響くことがあり
人生で初めて、養成コースへ通い、アクアエクササイズのインストラクターとなりました。
その年から、勤めていたスポーツクラブ以外でも
オーディションを受け、仕事をいただけるようになり
フリーで活動を始めました。
下の子が、小学生になった年で
フリーのインストラクターというのは
時給で働くのではなく
レッスンの時間だけが仕事の時間なので
子供が家にいても
お昼ご飯を一緒に食べたり
何かあっても、レッスンが終わればすぐに帰宅できる!
と
ホッとしたのを覚えています。
現在は、近くの施設のレッスンが多く
自宅スタジオで仕事させていただけるおかげもあり
子供や孫との時間も、取る事が出来るようになりました。
私がフリーになったのは
子育てしやすい。
自由に時間が取れる。
という理由でした。